人間牧場

〇孫たちも一緒に黙祷しました

 昨日は69年前広島に原爆が投下され多くの犠牲者を出した日です。私は昭和19年、妻は昭和20年生まれですから、私たちの年齢と戦後が同じ年数であるため、毎年この日は特別な日として迎えています。昨日は市役所が有線放送で原爆が投下された午前8時15分に、サイレンを鳴らして黙祷を促したため、わが家でも玄関先で全員が立ったまま黙祷をしました。丁度この時間は孫希心が学堂クラブへ、孫奏心が保育園に出かける時間だったので、孫二人にも黙祷をさせました。

 孫たちはこの奇妙な大人の姿に驚いたのか、黙祷が終ると「どうして眼をつぶるの」と色々聞き返して来ました。私と妻が戦争のことや原爆のことについて話をしてやりましたが、孫たちの「何故?、どうして?」の質問にたじたじでした。私たち夫婦は戦後の貧しい暮らしはおぼろげながら覚えているものの、「戦争を知らずに育った世代」なので、戦争を語り継ぐことさえできなくなっているのです。被爆体験を語れる人も高齢化し、少なくなってきました。わが家でも戦争経験者は95歳の親父だけで、その親父も年老いて忌まわしい戦争の記憶を語ろうとはしないのです。

 孫たちに戦争を語ってやることは平和教育です。このような平和な暮らしができるのも戦争で犠牲になった人のお陰だと、思う気持ちをどう孫たちに伝えればいいのか、正直言って心もとない限りです。イスラエルやアフガニスタンでは未だに流血が続いて多くの犠牲者が出ています。日本では福島原発事故や集団的自衛権の閣議決定以来、国内を二分する議論が続いています。昨日の平和宣言で広島市長が「戦後69年間戦争をしなかった事実」と述べた平和の重みをもう一度、しっかりと考えなければなりません。
 黙祷を一緒にした孫の頭や心にどんな想いが浮かび、私たち大人はどんな想いを浮かばせてやったのでしょうか。反省しきりでした。

  「サイレンを 合図に黙祷 孫たちと 何で?どうして? 孫矢継ぎ早」

  「妻の歳 私の歳も 早六十九 戦争知らず 育った世代」

  「孫たちに 先争話す 義務がある 平和教育 どうすりゃいいか」

  「言うことは どちらも正しい 思うけど どちらも不安 どうすりゃいいの」

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