人間牧場

〇吐いてから吸う呼吸法と生き方

 昨日は松前町に住んでいた、叔母の3回忌と叔父の5回忌の法事に妻と一緒に出かけました。親父の直ぐ下の弟なので、本当は親父も連れて行ってやりたいのですが、何せ高齢のため葬儀も法事もままならず、結局は長男である私がずっと代役を務めているのです。親父は12人兄弟姉妹なので存命中の4人姉妹と、連れ添いや息子が参加して相変わらず大賑わいでした。
 菩提寺の和尚さんを招き自宅でお経をあげてもらった後、近所のお墓にお参りしましたが、故人の人徳とでもいうのでしょうか、昨日は底冷えはしたものの風もなく、穏やかな日和に恵まれ、高齢になった人もいるので助かりました。

 再び自宅へ帰り精進落しの昼食会がありました。近頃は車で来る人が多いので、お酒を飲む人も殆どなく、私も用意してもらったノンアルコールのビールを、コップいっぱいいただきながら積もる話をしましたが、最近は地方祭りなどの行き来もなくなり、お目出度やお悔みの時にしか出会うことがない人もいて、懐かしい感じでした。
 私は仕事柄、法事や通夜等にお経を上げにやって来る、和尚さんの説教を楽しみにしていますが、昨日の和尚さんは呼吸について話されました。人は生まれてから死ぬまで、何のためらいや意識もなく一生呼吸をしますが、生まれた時始めてする呼吸は吸い込み、死ぬ時は息を吐いて死ぬのだそうです。そいえば死ぬことを「息が切れる」とか「息を引き取る」と表現しますが、「息を吸い込むから吐く」のか、「息を吐くから吸う」のかどちらかという話です。仏教の聖地インドにヨガという健康法がありますが、これは元々仏教の修行の一つだそうです。

 ヨガは息を吐くことに重きを置いています。息を吐くと体が自然体になるらしく、日本のラジオ体操のように息を止めて気合を入れて体を動かすと、体が硬直してストレッチの効果が少ないようです。その点ヨガは息を吐くため体の緊張がほぐれ、ストレッチ効果は抜群だとか・・・・。
 息を吸うことは求めること、息を吐くことは与えること、人間は与えられた徳に感謝し報いる報徳を心がけなければなりませんが、今の世の中は報徳もせず求める人が余りにも多いようだと話されました。もっともなありがたい説教でした。
 「ニワトリが先か卵が先か」はよく議論される諺ですが、息も「吐くが先か吸うが先か」は意見の分かれるところです。でも吐くことに重きを置いて、吐いた後で吸う空気の何と美味しいことか、吐くから分る吸うことの意味でした。

  「吐いて吸う 仏教修行 あるという なるほど思い 吐いてはみたが」

  「ニワトリと 卵の議論 呼吸法 同じようだが どこか違って」

  「吐くことに 重きを置いて ストレッチ 毎朝してる お陰健康」

  「叔父叔母も 歳をとったと 納得す かく言う私 間もなく七十」

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