〇親父の認知症
前日の夕方、辺りが暗くなり始めた午後6時過ぎ、親父がコートを着て外出用のバックを提げて玄関に現れ、いきなり「これから病院へ行くぞ」といい始めました。親父はどうやら昼と夜を勘違いしたらしいのです。耳の遠くなった親父にそのことを説明しても「連れて行ってくれ」と言い張りましたが、やっと納得させ隠居へ連れて行って寝かせました。
親父はこのところ便秘気味で、下剤を飲んでいますが一向に回復せず、先日も下灘診療所の看護婦さんが手を差し込んで取ってくれました。その折少し下血したのが心配で、「県立中央病院へ連れて行って検査をしてくれ」と頼むのです。
下灘診療所の先生に電話すれば必ず往診に来てくれるので、その必要はないと説得しても聞く様子もなく、暖かい日を選んで連れて行くことにするからと、話していた私の話を覚えての騒動だったようです。昨日は連休明けの火曜日なので、病院は混んでいるものと思いつつ、親父を助手席に乗せて7時40分に自宅を出発しました。親父は久しぶりの沿線の風景を感慨深げに見ていました。体の不自由な人が止める駐車場へ案内してもらい、車椅子に親父を乗せて病院へ入りました。久しぶりの病院は連休明けとあってかなり混んでいました。受付をすませ2階の内科受付へ回されましたが、1時間待っても一向に予約が取れず、結局は1階の急患に回されそれからさらに1時間待たされました。1階急患診察室の前の待合所は、玄関から吹き込む風で冷たく、少し寒気がすると言いましたがどうすることも出来ず、結局は10時30分に診察が始まりました。
症状を伝えましたが、先生は「ここは急患専用なので、往診に来てくれる先生がいるような患者さんは来て欲しくない」と不機嫌極まりなく、とりあえず内診のあとレントゲンを取ることになりました。親父は足がおぼつかないので、洋服を脱がせたりレントゲンの寝台に寝かせるのも一苦労で、結局レントゲン技師さんから私に手助けして欲しいといわれ、検査室で行動をともにしました。その後レントゲンの結果は先ほどの先生の元へラインで送られていて、再診をしてもらいましたが、レントゲンに異常はなく一件落着となりました。
車に乗せて帰宅の途に着きましたが、少し長い病院での診察や検査時間に疲れたようでしたが「死ぬまでにもう一回総合病院で診て欲しい」との願が叶い、「もう病院へは行きたくない」と言いつつホッとした様子でした。
夕方「炊飯ジャーが壊れてご飯が炊けない」と、私を呼びに来ました。隠居へ行って見ると、炊飯ジャーの蓋が壊れていました。早速近所の高村電器店へ出かけて、同じようなタイプのタイガー炊飯器の在庫があったので、1万5千円で買い求め親父のダイニングにセットしました。早速の私の対応が余程嬉しかったのか、2万円のお釣5千円を私にやるというのです。年金暮らしの親父にお使い賃をいただくほど困っていないので断わりましたが、「取っておけ」と気前のいい話をしてくれました。
95歳になって認知が進んだといいながら、まだ自分でご飯を炊いて食べることだってできるし、足が弱ってもどうにか歩いたり、デイサービスに週二回出かけれるのですから、まだよしとしなければなりません。私の今年の目標の中に「親孝行」を挙げていますが、はてさて・・・・。
「高齢の 親父認知が 少しずつ 進んで昼夜 逆転現象」
「死ぬまでに も一度病院 連れて行け 頼む親父を 車に乗せて」
「受付を 何度も通過 結局は 病院内を たらい回しされ」
「レントゲン 写真を見せて 悪くない 言われ安心 したよう親父」