人間牧場

〇古希を祝う同級会(その2)

 私たちは昭和35年に旧双海町立下灘中学校を卒業しています。その後平成17年に伊予市・中山町と合併して伊予市立となりましたが、その中学校も生徒数の減少によって4年前に学校統合して伊予市立双海中学校となり、残念ながら下灘中学校は廃校となりました。その後学校の校舎や体育館、運動場は使われることもなくそのままで残っていますが、幾多の変遷を経ているのでかつての木造校舎も既になく、すり鉢の底から見上げるような空や、傍を流れる豊田川など周囲の風景のみが往時を偲ばせてくれるのです。

賑やかな同級会
賑やかな同級会

 私たちも歳をとったものです。若いと思っていたのに既に69歳の老域に達し、体力も気力も下り坂といった感じです。でも中学校時代の思い出は僅か3年間だけだったのに、小学校6年間の思い出も引き継いで、顔々に会えばつい昨日のことのように思い出されるから不思議なものです。勉強の良くできた子、可愛らしかった子、走るのが速かった子などなど、僅か80人そこそこの2クラスほどの、小さな集団でしたがヒーローも何人かいたものの、70年の時の流れは全てを均一化し、同じような宿命を背負って生きているようでした。

 10年前に開いた還暦の同窓会には、忘れることの出来ない思い出があります。私が幹事を務め、私が名簿を調整して往復ハガキを出しました。その時同級生であり組内でもあった豊岡孝さんかから封書が届きました。返信用ハガキを封筒に入れ、少し込み入った文章が書かれていました。「私は中学校を卒業すると直ぐに集団就職列車に乗って就職をしました。あなたに下灘駅まで送ってもらい都会の駅に着いた時、井沢八郎の『ああ上野駅』という曲が流れていて、涙してふるさとを思い出しました。この歌は私の応援歌です。先日NHKの『ラジオ深夜便』と、NHKのテレビ番組『日本列島1万2千キロの旅』という二つの番組で、あなたがハーモニカを吹いているのを見聞きして涙が出ました。今度還暦の同級会に帰りますので、その時は、ハーモニカを持って来て吹いてください」と書かれていました。

 還暦の同級会で私は主催者としてあいさつをしました。しばらくして余興の時間に孝ちゃんがいきなりマイクを持ち、私にハーモニカで「ああ上野駅」という曲を吹いて欲しいと頼みました。私は音楽は苦手だったので楽譜を見て吹くほどではなく、体感音楽の手合いで吹きました。孝ちゃんは涙を流しながら「ああ上野駅」を熱唱しました。
 その後孝ちゃんは体調を崩し、風の噂では天国へ召されたようです。私は今回の古希の同級会に木になるかばんに忍ばせてハーモニカを持参していたので、孝ちゃんへの鎮魂の祈りを込めて「ああ上野駅」を吹かせてもらいました。下手糞な私のハーモニカは天国にいる孝ちゃんの元の届いたでしょうか。

  「10年の 時の流れで 孝ちゃん 天国召され 悲しからずや」

  「孝ちゃん 聞いておくれと ハーモニカ ああ上野駅 下手糞ながら」

  「新聞の 三面記事を 賑わせる 同級会の 写真思いつ」

  「8年後 喜寿を迎える 逢いたいと 約束するが 果たしてどうなる」

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