○日振島を訪ねて(その5)
日振島のあちこちで色々なものに出会いました。その一つは日振島小学校の校門近くに建っている記念碑です。「だまされる人になってもだます人になるな」と書かれていました。森岡天涯の言葉です。私は若いころ青年団に入団して愛媛県青年団連合会の会長や四国四県青年団連絡協議会の会長をしましたが、そのご縁で全国の青年の家を殆ど回っています。とりわけ愛媛県内に設置されていた東・中・南予青年の家には幾度となく42年間お歴史に幕を閉じた南予青年の家は前身が南予会館で、その建設に尽力したのが日振島出身の社会教育家森岡天涯だったのです。森岡天涯は単身アメリカに渡り、帰国後は郷里の福祉厚生に尽力した人です。
中央青年の家に泊まると牛、南予青年の家に泊まるとニワトリの匂いと声で目を覚ますといわれたように、南予青年の家の近くには鶏舎があって、ニワトリの賑やかな鳴き声が聞こえたのも今はいい思い出となっていますが、青年の家の閉鎖を亡くなった森岡天涯はどう思っていることでしょう。
森岡天蓋の戒めの言葉が宇和島市立住吉小学校の校庭にもあると笠岡組合長さんが教えてくれました。「大きな石は俺にもてころ」と書かれているそうです。「もてころ」とは宇和島の方言で「もってこい」というのだそうです。つまり難問題があったら私に相談に来なさい」というのです。
今の日本には誰を信じてよいか分からないほどだます人が沢山います。私も何度か小さい事ながらだまされたことがありますが、例えだまされてもだます人になるなという天涯の教えは、とても深い意味を持っているように思えるのです。この碑文の前に立つと、背筋が伸びたような気持ちになりました。私も社会教育にいささかなりとも関わった人間なので、天涯のように自らの心を正すとともに、地域の発展に貢献しようと決意を新たにしました次第です。
「だますより だまされる人 まだましと 天涯教え 校門ありて」
「今はない 青年の家 懐かしく ニワトリの声 耳に残りぬ」
「もてころと いう方言の 意味を聞き 頷きながら 石碑なぞりて」
「今日もまた 訪ねし島で 教わりぬ 先人教え 拳拳服膺」