○20年ぶりに宇和島の沖合いに浮かぶ日振島へ(その1)
もう20年も前でしょうか、役場の職員旅行で一度だけ日振島へ出かけたことがあります。その時は夕方の船に乗って船着場の近くの民宿のような所に泊まり、みんなで新鮮な魚を肴にお酒を鱈腹飲みながら、さした目的もないままワイワイガヤガヤ言って懇親を深め、明くる日の朝飯を食べて宇和島へ帰るるという、今考えると日振島へ行ったというだけで、その時の記憶など完全に頭から飛んでしまっているのです。
今回はえひめ地域政策研究センターに出向していた宇和島市役所商工観光課の谷本さんの口添えをいただき、日振島公民館の招きで講演に出かることになり、ANAから宇和島市にこの3年間出向している小林詳子さんも同行してくれるというので、楽しみにして出かけました。日振島公民館の畠山さんからの連絡だと船の出発時刻は午前11時30分とか、50年も前に宇和島水産高校在学中3年間を過ごし、その後も幾度となく宇和島を訪問しているので、盛運社の船着場は海の駅きさいや広場の直ぐ近くにあることも知っていました。逆算して9時30分に自宅を出ました。大洲から宇和まで高速道路無料区間を利用したお陰で、所要時間は1時間30分で、船着場へは30分も前に到着しました。
律儀な市役所の谷本さんと産業振興公社の得能さんが船着場まで見送りに来てくれました。そのうち小林詳子さんがお母さんと二人でやって来ました。聞けば小林さんは3年間の契約派遣がこの3月で任期満了となって、東京方面へ帰るというのです。風の噂には聞いていましたが、在任中一度も日振島へ行っていないので、たまたま娘の赴任地を訪れていたお母さんを親孝行のつもりで誘ったようなのです。
昨日の宇和海はいつになく穏やかで、まるで鏡のように凪いでいました。しかも数日前には小雪が舞っていたとは信じられないほどの穏やかで、春霞さえ感じる温かさでした。
「岬かと思えば島なり、島かと思えば岬なり」とは坪井栄の「二十四の瞳の名文ですが、高速船は岬や浦々を巡り、12時18分に目的地である明海の港に到着しました。桟橋には畠山さんに出迎えてもらい、早速笠岡漁協組合長さんを交えて、用意いただいた弁当を食べました。聞けば組合長さんはもう何度も私の話を聞かれていて、その内容をしっかりと覚えて実践しているご聡明な方で、汗顔の至りでした。
講演は夜7時からなので、畠山さんの車に乗せてもらい島内散策に出かけました。ふと道すがらの風景が鹿児島県奄美大島によく似ているような感じを覚えました。リアス式海岸の美しい宇和海は黒潮が流れ込む温暖な気候で、生えている植物も、また芽吹きの様子も私の住んでいる瀬戸内海に面した地域からすれば、20日間は時計の針が早く回っているような感じがするのです。
「日振島 素敵な女性 供に連れ 二十年ぶり 足を踏み入れ」
「リアス式 海岸どこも 美しく 妻に見せたく デジカメ用意」
「あの運河 通ったような 記憶あり 定期船窓 遠目眺めつ」
「念願が 叶って日振 島に着く 迎えの女性 優し出迎え」