○私の作った踏みつけ道
66歳になった私はやはり歳でしょうか。まだまだ若いと思っていましたがこの2~3年、少し体の衰えを感じるようになりました。こりゃあまずいと思いつつ、少しでも体力や若さを保とうと、柔軟体操をしたり散歩や労働をするのですが、余りやり過ぎるとかえって体に負担がかかり、疲れてしまうのです。その疲れも明くる日一日で回復せず、2~3日後に出てくるのですから始末が悪いのです。それでも目標を持って生きねばと、忙しい合間を縫って急な坂道の続く裏山へ登っています。
裏山の道は適度な坂道で、農道のため殆どは舗装されていますが、少しきつめの運動をするため赤道といわれる未舗装の細い土道も歩きます。昔は裏山はみかん畑で道も綺麗でしたがし、20年も前に伐採されて杉や桧が植林されてからは、農道も赤道も訪れる人もなく荒れるに任せているのです。植えられた木も大きくなってまるで森林浴をするような感覚で、深呼吸をしながら多少の汗をかいて上り下りしています。
私がこの道を使ってウォーキングを始めた頃赤道は草に覆われていました。しかし私が毎日歩くため赤道は踏みつけ道となって今ではすっかり綺麗な道に生まれ変わりました。
詩人で彫刻家でもあった高村光太郎の「道程」という詩があります。若い頃大好きで宙で覚えていました。
「道程」
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ自然よ
父よ僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
自分が踏みつけて作った踏みつけ道と、この詩の奥ゆかしさとは随分違いますが、それでも私は昨日も今日も相変わらず小さな踏み付け道を時には胸を張り、時には息を大きく吸ったり吐いたりしながら歩いているのです。体を動かすとこの余寒を感じる季節でも額に少し汗が滲んで、多少の疲れが生じるのか小腹が空き、夜は安眠を貪れるのです。
今日は間もなく宇和島市の沖合いに浮かぶ日振島へ泊り込みで講演に出かけます。明日朝一番の船で宇和島に戻り、その足で広島県尾道へ出かけます。多少ハードな日程ですが、そのためにもこれから少し踏みつけ道を歩いておこうと思っています。
「いつの間に 出来た踏みつけ 道歩く 白い吐息 ハーハー言いつ」
「若い頃 好きで覚えた 詩を反芻 しつつ小森を 昇り降りする」
「さあ今日も 元気で行くぞ 気合入れ 元気になった ような気がして」
「三連休 リタイア俺にゃ 無関係 仕事ない日が サンデーですよ」