○この一週間
松山市内に住んでいる小学校2年生の孫朋樹が熱が出て学校を休んだため介護を頼まれ、昨日また今度は孫尚樹が熱が出て、仕事のやりくりがつかないという娘の申し出を快く受け入れ、早朝7時娘のマンションへ行きました。午前10時に自宅で来客が予定されていたためかかりつけの小児科に連れて行って診察を受け、孫を乗せて高速道路を走って10時5分前に何とか自宅へ帰り、滑り込みセーフで来客を待たせることもなく綱渡りの仕事を終えました。
思えば孫朋樹の介護から始まり孫尚樹の介護までのこの一週間は、東北地方を襲ったまぐにちゅーど9.0という観測史上例を見ない地震と、それに伴う10メートルを越えたという大津波、また最近は原子力発電所の相次ぐトラブルが発生し、暗くて重たい出来事ながら心に残る日々でした。テレビやラジオを付ければ全て震災関連のニュースだし、映し出される映像全てがまるでCG映画を見ているようで、余寒耐え難い寒さに震えながら今なお救助を待ったり、死亡や行方不明が選任を超える国家的異常事態に、大きな衝撃を受けています。
東北地方には友人知人も沢山いるし、その安否も気になるのでメールを入れても反応が返ってこない人のことを気にしながら一喜一憂しているのです。記憶に残したくない忌まわしい災害ながら、記録しなければ記憶されないという宮本常一の言葉を反芻しながら、この一週間の新聞を少しだけスクラップして、最小限の記録をしておこうと心に決めたものの、その量が膨大で何処から手をつけたらよいかも分からぬままなのです。
それにしても気になるのは、原発事故のニュースです。本来なら人命優先の地震や津波に関する報道がされるべきなのに、政府も電力会社の引き起こした原発事故の対応ばかりに追われ、責任逃れに終始しているように見えるのです。計画停電などという言葉で電力を取り繕うとしていますが、病院で透析をしている人たちにとってみれば命にかかわることなのです。原発は安全だといい続けてきた政府と電力会社の責任は今後検証されることでしょうが、それにしても被災した人たちを救う手立てや、音信の途絶えた人たちへの対応も、気になるところです。
「旧友の 音信訪ね 電話する むなしく響く 不通信号」
「地獄絵の ような写真に 胸痛む 今宵再び 温度下がりて」
「あの町を 確か通った ことあった 記憶微かに 思い出されて」
「原発の 安全性は 音もなく 崩れて今後 どうなるのだろう」