shin-1さんの日記

○春の佐田岬半島・その②(忌まわしい思い出)

 佐田岬半島は八幡浜方面から突端に向けて頂上線と呼ばれる国道197号線が走っています。この国道は高知から佐田岬を経て海上に出て大分に上陸するという、何ともまか不思議な国道なのです。別名潮風メロディーラインという愛称で呼ばれていますが、頂上を走る国道の左に太平洋の黒潮が流れ込んだ宇和海、右に穏やかな瀬戸内海の伊予灘が見え隠れし、天気のいい日はドライブ気分でとても気持ちのいい路線なのです。

 佐田岬半島は鷹の一種であるサシバという渡り鳥のコースにもなっていて、春や秋には無数の渡り鳥が西に東に渡って行く様は圧巻で、野鳥観察上重要な岬でもあるのですが、半島ゆえに時折厳しい自然の洗礼を受ける事だってあるのです。

 もう20年も前の出来事なのですが、台風19号が佐田岬半島を縦断しました。その日私は当時公民館に勤めていた浜松さん(後の瀬戸町教育長)の口利きで瀬戸町大久へ呑み会付きの講演に出かけようとしていました。出発前浜松さんから「台風が近づいているがそちらはどうか」と電話連絡がありました。私の住んでいる所は瀬戸内海側で山を背にしているため台風の影響は殆ど受けず、「そんなに風は強くありません。天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」と格好いい言葉を言い、「止めた方がいい」と静止する妻の言葉も聞かず自宅を出発しました。当時私の自動車は軽四のアルトでした。

 当時はまだ鼛声峠の長いトンネルは開通しておらず、九十九折の峠道を越えて瀬戸内海側から宇和海側に入った頃から猛烈な風が吹き始め、車が飛ばされるのではないかと思われるような強風の中を進みました。

 保内町辺りから様子が一変し、道のあちこちには強風で吹き飛ばされた車がまるで亀を逆さにしたように何台もひっくり返っていました。木はなぎ倒されて道路を塞ぎ、内心やばいと思いましたが、それでも約束を守ろうとする心が働いて、何とか瀬戸町の掘り切り大橋を渡って塩成トンネルの中へ入った途端、出口を倒れた大木が塞いで進むことが出来なくなったのです。トンネル内でUターンして道の駅付近から瀬戸町三机へ下りましたが、電線は切断して垂れ下がり、商工会の事務局長をしていた奥山さん宅を訪ねて避難をさせてもらいました。

 奥山さんの奥さんは妻と八幡浜高校の同級生であることもあって、快く迎えてもらい停電の中をローソクの明かりを頼りにご主人と二人がビールを鱈腹飲みながら夜を明かしました。そんな忌まわしくも楽しい思い出のある佐田岬半島ですが、その強風を逆手にとって風力発電をしようという試みで、風力発電の風車が50機近くも立って、今では原子力発電とともに日本有数の新エネルギーの町として威風を誇示しているのです。

shin-1さんの日記
shin-1さんの日記

shin-1さんの日記
(無数に立つ風力発電の巨大な風車群)


 国道沿いには風力発電が見学できる公園も整備されていて、私が訪ねた一昨日は天気がすこぶるよかったため、白くて巨大な風車を青空に向かって下から見上げると、これを造った人間の凄さに感心しました。しかし一方ではこの巨大な構造物が渡り鳥や周辺に住む人たちに影響を与えたり、美しい景観を壊してしまっているという厳しい意見があることも事実のようです。

 佐田岬は間もなく山桜が半島一面を埋める一年中で一番いい季節といわれる爛漫の春を迎えます。既に心ある人が植えたであろう早咲きの桜がほころんでいて、訪ねた私の心を和ませてくれました。


  「通る度 忌まわしき過去 思い出す 風の強さを 今は発電」

  「早咲きの 桜ほころび 春空の 青さ目に染む 風車公園」

  「頂上の 道を挟んで 違う海 見え隠れして 美しきかな」

  「間もなくに 山に桜が 爛漫と 咲く頃三度 訪ねたいとも」

[ この記事をシェアする ]