○広島県から研修にやって来ました
昨日は地域事務所に務める松本さんが、日体大在学中にラグビー部の先輩としてお世話になったという広島県熊野町に住む世木田さんたち商工会のメンバー10人余りが、双海町へ視察にやって来ました。熊野町といえば筆の町といわれるほど有名な町で、毎年京都清水寺で繰り広げられる漢字一文字を管長さんが書くイベントの筆も、この町で作られているそうです。
私も熊野町の招きで何度か講演に行った町であり、その折お土産に貰った習字用の筆や妻の化粧用の筆類は今も大切に使っているのです。
商店街の活性化はどの町にとっても大きなテーマであり、とりわけ当事者を束ねる商工会では尻に火がついたような危機感を持っているものの、ご多聞に漏れず妙案は中々見つからないようです。実は私が連載記事を書いているえひめ地域政策研究センター発行の機関紙である「舞たうん」という雑誌の、次号のテーマが商店街であり、偶然にも前の日にその原稿を書き上げて送った矢先だったので、幾分かタイムリーな話が出来、とりわけ説明後の意見交換会やレストラン夕浜館での昼食会は大いに盛り上がりました。
この日来られたメンバーはいずれも意識と知識の高い方ばかりであり、今後も松本さんつながりで、私的な交流を続けられそうな予感がしました。
私の町もかつては小さいながら2つの商店街がありましたがいずれも消えてなくなり、今では買い物さえこと欠く惨憺たる有様です。当事者たる商店主の皆さんは時代の流れだと諦め、自分一代で商売を終えようとしているのです。また商店街を育成する商工会も隣の中山町と広域合併し、記帳指導などはするものの根本的な育成は出来ないとこれまた諦めているのです。
思い返せば私が手掛けた道の駅シーサイドふたみを作る時、地元の商店街は死活問題だと大反対をしたものです。何とか説得しアンテナショップとして使って欲しいと頼み込み、商工会の出捐金まで出してもらいスタートしたのでした。
今はそんな軋轢も何処へやら、とりわけ道の駅に商品を卸している海産物屋さんからはこれがなかったら危なかったと喜ばれているのです。商店を経営しながら商工会で各種イベントを楽しくやったあの人もこの人も既に他界したり老いていて、過ぎし昔を懐かしく思い出すのです。
シャッター街と名前までついた日本全国の商店街は今後どうなって行くのか、私の知ったことではないと思えば思えるのですがやはり寂しく、願わくば地域の元気の源である商店街に活気を呼び戻したいと思っています。他力本願では出来ないこの難解な問題にどう立ち向かうのか、少しではなく多いに遅過ぎた感じを持ちながら熊野町の人たちと別れました。
「先進地 どころか後進 地域だが 何故に人来る 不思議気がする」
「視察でも 金を落として 帰るから 大事とばかり 丁寧対応」
「何年か 前に貰った 化粧筆 お陰で妻は 品よく化粧」
「二つとも 消えてなくした 商店街 再興なんて 夢のまた夢」