○友人のお父さんのお悔やみに出かける
毎朝日課のように朝食を取りながら新聞を読みます。「朝ごはんを食べる時くらい新聞を読むのは止めて欲しい」と再三妻から注意をされてきましたが、「馬の耳に念仏」「糠に釘」「馬耳東風」とばかりに無視して、「これは亭主の特権」と主張して昨日の朝も今朝も読んでいるのです。最近は妻も諦めているため、新聞の川柳欄などを読んでやり、二人で朝から大笑いしたりするのです。
最近は歳をとったせいか新聞のお悔やみ欄に自然と目が行くようになって、亡くなった方々の年齢数字を見ながら、私と歳が前後する人の人生を思いながら、いよいよ自分の番が近づいたと思ったりするのです。
先日フロンティアグループの総会で、友人のお父さんが亡くなったことを友人から聞いて知りました。母が亡くなった時葬儀に参列してもらっている義理もあるので、昨日は友人の実家のある西予市宇和町へ線香をあげに出かけました。カーナビでおおよその見当をつけ、目印となるカントリーエレベーター辺りに到着して友人の携帯誘導でどうにか辿り着きました。
築30年余の紅柄塗りの民家は寒い冬の朝日に輝きとても立派に見えました。県庁を退職して5年近くが経っているため友人も私と同じサンデー毎日組なのですが、剣道をやっているため背筋はしゃんと伸びて、若さでは負けないと思っても、友人には少し後れを取っているようだと実感しました。
亡くなった友人のお父さんは元高校の校長で、祭壇に供えられた弔辞を読ませていただきましたが、教育者らしく高潔な人だったようです。退職後地元の公民館長をしていたこともあって一度お目にかかったことがある遺影を懐かしく眺めながら線香を手向けて手を合わせました。私の親父より一つ若い91歳の生涯だったようです。
奥さんも少々足が不自由なようですがしっかりと対応され、先生の思い出話をしてお暇をしました。この家には私の友人を含め3人の男の子どもがいるのですが、二人は東京近郊に住んでいて帰る当てはないようです。友人も今は独り身なのでここへ帰っておふくろさんと二人で暮らせばどんなにかいいのにと、助言をするのですが当の本人は私の言葉など何処吹く風のようでした。
田舎に住むことは人が思うほど生易しいものではありません。近所付き合いという重い荷物も持たねばならないし、家や土地を守り墓を守ることもずっしりと肩にのしかかってくるのです。私は子どものころから長男というレッテルを貼られ、長男は家賀を継ぐものという長男教育を受けて育ちました。しかし私の妻はそのことにかなりの抵抗があったようです。今は諦めて長男の妻を演じていますが、わが家でも間もなく長男家族が帰って同居暮らしを始めるのです。長男息子も私と同じようなレッテルと教育を受けて育ったための決断でしょうが、長男の妻にとってはかなりのプレッシャーのようです。陰湿な嫁姑の関係だけは避け明るく暮らしたいたいと思っていますが、はてさて心配の種は尽きないようです。
「歳とると お悔やみ欄が 気になって いよいよ順番 来たかと思う」
「同じ歳 お悔やみ欄に 見つけたり 少し早死に 俺はまだまだ」
「長男に 生まれて損と 思うより 得と思って 前向き生きる」
「あの家も この家さえも 空き家とか 寂びしかりけり 家が泣いてる」