shin-1さんの日記

○民俗学者宮本常一の撮影した双海町の海岸線)

 私は由並小学校、双海中学校、松山工業高校と小・中・高3つの学校の学校評議員をしています。小・中・高は同じ学校ながらそれぞれ、取り組んでいることも抱える悩みも微妙に違って、とても参考になるのです。

 先日の夜由並小学校の学校評議員会に出かけました。私は下灘出身なのでこの学校の卒業生ではありませんが、4人の子どもはこの学校の卒業生だし、私もPTAの副会長を1年だけやったことがあるので、この学校も行く度に何処か懐かしい感じがするのです。

 1時間半ほどの協議が終り帰ろうとすると、居残って仕事をしていたいた中尾先生が、「民俗学者宮本常一のデータベースで双海町の古い写真を見つけた」と知らせてくれました。中尾先生はオーストリア・ウィーンの日本人学校に3年間勤務して昨年この学校に復職した先生で、私が教育長時代にも派遣社会教育主事として一緒に教育委員会で仕事をした親しい間柄なのです。

 双海町が合併する直前に改定双海町誌を中心になって編纂してくれた苦労も知っているので、何かと気心が知れていますし、二ヶ月に一度は史談会で一緒に歴史の勉強をしているのです。

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(上灘駅周辺)

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(唐崎周辺)

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(閏住菜の花畑周辺)

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(下灘駅周辺)

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(上浜青石海岸・下浜豊田漁港周辺)

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(喜多灘駅周辺・石久保海岸)

 自宅へ帰り自分の社お菜のパソコンを開き、早速宮本常一のデーターベースを検索しました。いやあ驚きました。昭和36年8月6日のデーター557号から双海町の海岸の様子が伺える写真が数枚記録されているのです。おそらく大洲方面へ向かう列車の窓から撮影したものと思われますが、その後海岸道路が国道に昇格し、整備が進んで海岸線が一変していることを思うと、これはまさに貴重な資料だと思うのです。宮本常一は海岸の道が国道になって整備されることなど夢にも思わずシャッターを切ったことでしょう。

 カメラの精度が悪く白黒の写真は鮮明ではありませんが、この列車に乗ってはるか水平線の彼方に自分の生まれ育った周防大島を見て、どんなことを思ったのでしょうか。願わくば近いうちにこの写真の定点に立って今の風景を撮影したいと思いました。


  「50年 前に列車で 海岸線 写真に撮って 記録に残す」

  「データ見て 時の流れを しみじみと 思いながらも 記憶辿りつ」

  「沖合いに 浮かぶ周防の 島々を どんな思いで 見たであろうか」

  「瀬戸の海 今も昔も 変わらねど 人の暮らしは 天と地ほどに」 

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