○うたかたの夢の跡
数日前岡山県倉敷市へ講演に出かけるため、瀬戸大橋を渡りました。本州四国連絡橋のひとつである瀬戸大橋は1988年(昭和63年4月)、1兆1300億円の巨費を投じ児島~坂出間9.4キロを結ぶ、鉄道併用橋として開通し、当時は国家の威信をかけた一大プロジェクト事業として脚光を浴び、全国から多くの観光客が押し寄せました。勿論私たちも珍しいもの見たさに何度かそのツアーに参加して、その威容に感心し目を見張ったものでした。あれから22年が矢のように過ぎ去り、瀬戸大橋は四国と本州を結ぶ大切な生活道として私たちの暮らしに役立っているのです。
瀬戸大橋を列車や車で通る度に少しだけ緊張したり、物珍しげに左右の景色や端の姿を眺め、あるいは写真に収めたりしていましたが、今ではすっかり馴れてしまい、時には列車の座席で眠ったまま知らず知らずに渡ってしまうことだってあるのです。
大橋が開通した当時、車が混雑して入りにくいほど賑わった香川県坂出市の瀬戸大橋記念公園や、与島のフィッシャーマンズワーフは、端の上から見ると気の毒なくらい車の数が少なく、社会の流行のはかなを感じるのです。まさにテーマパークのうたかたの夢の跡といった感じです。
「橋は渡る道具にて見るものにあらず」とは私の名言ですが、巨額の投資をしながら人の来なくなった瀬戸大橋記念記念公園も、与島フィッシャーマンズワーフも今後は、海から吹きつける潮風と世間の厳しい批判の風に晒され続けるのでしょうが、特に瀬戸大橋記念公園には道の駅フェアーが開かれ何度か地元の特産品をを持って物販に参加したことがあるので、他人事とは思えない心境です。公園から真上に伸びる大橋の威容を見て感動した20年前が昨日のことのように蘇ってきました。記念講演の凋落に比べ、橋の袂の街は通る度に発展を続け、新しい街が誕生して賑わっているのですから世の中は分からないもです。
シルバー色の大橋は瀬戸内海の穏やかな青にマッチしてすっかり溶け込んでいいますが、不滅と思っていた橋は鉄とコンクリートで出来ています。20年の時の流れでしょうか、少し赤茶けた錆のようなものを感じるようになってきました。もしもこの橋に錆止めのペンキを塗るとなると、どれほどの費用がかかるのだろうかと、要らぬ心配をしてしまいました。こんな心配をする人間は私くらいなものでしょうが、1兆円を越える建設費を通行料で回収することなど出来ないのに、新たなメンテナンス投資はこれまた大きな問題になるに違いないと、これまた要らぬ心配をしながら、早春の瀬戸大橋を往復しました。
「もし橋に ペンキ塗ったら どのくらい 金がかかるか 頭が痛い」
「うたかたの 夢の跡とも 思えたる 施設散閑 心が痛む」
「二十年 前は私も 若かった みんなで橋を 口開け見たなあ」
「三十五年 前にアメリカ 金門橋 下をくぐった 思い重ねて」
(与島パーキングエリア)