shin-1さんの日記

○首吊り名札とペットボトル入りお茶

 いつ頃から始まったのだろうと記憶を辿るが、中々思い出せません。東京や松山の会合では時々そんな集会があったと記憶しているが、多分私が役場に勤めていた現職のころは余りこだわっていませんでした。おっと失礼、首吊り名札とペットボトル入りお茶の話です。最近は何処へ行っても集会といえば首吊り名札とペットボトル入りのお茶は欠かせない7つ道具の一つとなっているのです。

 昔名札は胸につけるものでした。ところが国際会議などの一軒格好いい外国の習慣が身について、最近は自分の顔写真まで入った身分証明書のような首吊り名札が日本全国に広がってしまったのです。しかしその実態たるや、名札が裏返しになってまったく用をなさなかったり、くたびれたままのものだっても平気でぶら下げている姿を見るにつけ、昔のようにきちんと胸に付けている方が余程いいと思ったりするのです。

 一方ペットボトルのお茶ですが、これも急速に普及して今では中身がどうであろうと何の疑いも持たず机の上に無造作に置かれ、こんな寒い冬だというのに今倉庫から取り出したような冷たいお茶を飲まなければならないのです。最近まではどの職場にもお茶汲みなどという風習があって、特に若い女性はお茶を沸かしお茶を出す仕事をしていました。これが男女の悪しき差別だと思われ、中にはまことしやかにお茶汲み廃止宣言まで新聞に取り上げられたりもしました。

 確かにペットボトル入りのお茶は便利で清潔です。机の上に並べると済むのですから・・・。しかし500mlの普通サイズのお茶を飲み干すには余りにも多く、殆どの人が残したり持ち帰らなければならないし、空いたペットボトルの後始末も資源ゴミとして皮を剥ぎキャップを外差なければならないのです。私は古い人間なのでしょうか。ペットボトルのお茶の味には何処か違和感があって、何処か好きに慣れないのです。

 先日も講演でお茶の名産地と呼び声の高い町へ講演に出かけました。300人ほどが集まっていましたが、「特産品を開発する村おこし集会」なのに机の上には相変わらず無頓着にもペットボトル入りのお茶が全員に配られていました。もしこの会場で地元自慢のお茶を出したら、ペットボトル万能社会ゆえに目立つだろうし、お茶場の消費も相当なものになると講演で指摘をしたら、感心をした参加者の中の一人から同感のお便りをいただきました。

 来客をお茶と温かい心でもてなす日本の美風は、残念ながらこの10年ほどで消えようとしています。お茶汲みも大切な女性の修行のひとつなんてことも男女同権の前に消え去りました。最近は事の外寒いため食事が終わって妻の入れてくれた熱いお茶をすする機会も増えていますが、お茶を飲めば妻との会話も弾み何処か落ち着いた気分になるのです。茶飲み友だちの世代になったのかも知れませんが、コーヒーも飲めない時代遅れの私は、これからもお茶党でいきたいと思っています。


  「裏返し 首吊り名札 無造作で 用を成さない 辞めたらどうか」

  「どの会も ペットボトルが 置いてある 量が多過ぎ 残し持ち帰る」

  「わが町は お茶が特産 胸を張る 地産地消も 地に落ち指摘」

  「お茶汲みは 修行のひとつ 思うけど 男女同権 上行く理屈」

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