○人を残す人生こそが上」
先日松山の共済会館で開かれたフォーラムで後継者育成の話が出ました。コーディネーター役の人がいきなり、「若松さん、あなたは後継者育成についてどう思いますか?」と振ってきました。とっさに私は「私たちが若い頃には『いい指導者はいい後継者をつくる』と教わりました。確かにそれも一利ありますが、私はその教えに疑問を持っています。私のような未熟な人間が指導者ぶってみても後継者を育てる能力などありるはずがありません。私の持論ですが『いい指導者はできるだけ早く去るか死ぬ』だけですと発言すると、場内に大爆笑が起り、そのことについて「同感」や「異議あり」と議論百出でした。
私も第一線を退いているものの、これまでの様々な実践や理論をそれなりに評価され、一応指導者的に扱われていますが、私がどのようにして育ったのか振り返ってみると、最も身近な関係にある親父からでさえ、文句や小言の端々で人の道を諭されたものの帝王学は学ばず、ましてや地域づくりなどは誰からも後継者として指名され、後継者としてのノウハウを教えてもらったことはないのです。多分私の指導者としての実践や理論は自分自身で開拓してきたように思うのです。本を読んだり人に出会ったり、時には自費で研修会に足を運んだりしながら、自分に投資するようになればしめたものです。
ただしそれは私一人でなし得たものではなく、私をひのき舞台に立たせてくれたり、陰で後押ししてくれた大勢の人の力によることが大きいのです。もし私が後継者育成で出来ることがあるとすれば、私に続く人たちを「ひのき舞台に立たせること」と、「影ながら後押しすること」、いわば自立への手助け以外ないのです。
幸い私に続くある意味後継者と思しき独り立ちした人たちが、私の周りには沢山育っていて幸せにさえ思うのです。私には知力も財力もなく、ましてやもう年齢的、役割的に責任も取ってやれな意のですが、支援はできなくても志援なら出来ると思っています。
戦前の政治家後藤新平が「金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上」という言葉を残しています。通常国会が始まり与党と野党が予算委員会などで激しい論戦を繰り返していますが、小沢一郎の金の問題も政権取得を事業に見立てれば、下や中の話に終始して、この国の将来をどうするのかといった人の道の話など殆ど出てこないのです。
聞けばこの名言を残した後藤新平も小沢一郎も同じ岩手県水沢の生まれだそうです。名言を残した後藤新平は偉かったかも知れませんが、この言葉を活かしきれないところに後継者を育てる難しさがあるようです。
「下・中・上 人それぞれの 生き方が あると諭され 上を目指して」
「死ぬか去る 俺の発言 大爆笑 後は死ぬだけ 犬死するな」
「金貯めて 金に生命を 奪われる ないから見える 人の生き様」
「もっと上 目指すためには 否定して 革新的に 生きてくれなきゃ」