○自然はさびしい。だが・・・・
最近中四国のあちこちを旅をする度に、空き家や荒れた畑を目にする機会が増えてきました。黄色く色づいたみかんの実が収穫されず木に残っている段々畑は何とも惨めなもので、ヒヨやカラスの餌場と化していて、多分後2~3年もするとカズラがはびこって放任園となって自然に帰って行く運命を辿るのでしょう。
実は私も人のことを言える身分ではないのです。わが家でも母が丹精を込めて作っていた2ヶ所のみかん園を放任し、野生にに帰した苦い経験を持っているのです。人間の手が入らないとみかん園は3年もすると草やカズラが生い茂り、5年で完全にみかんの木が枯れます。そして雑木や茨が生えて人間の入園を拒むようになるののです。
仕事が忙しいからと仕事を理由にして荒れさせてしまったみかん畑を元に戻すことは容易なことではありません。私は退職と同時にひとつ目のみかん園へ人間牧場を造る目的で入りました。15年近くほおっておいたみかん園は太ももほどもある潅木とカズラに覆われ、チェンソーと草刈機とノコ、カマ、地掘り鍬などで挑みましたが、2反程度の狭い土地ながら新地にするのに私一人で1ヶ月もかかりました。手に豆をつくり、思いに労働になまった私の体は悲鳴を上げていましたが、それでもどうにか明るくなった土地を見て、宮本常一さんのいった「自然はさびしい、しかし人の手が加わるとあたたかくなる」という言葉をしみじみと味わいました。
母親の植えていたみかんの木は親不孝な私のせいで全て枯らしてしまいましたが、それでも人間牧場には水平線の家やロケ風呂などが建ち、狭いながらも農場には毎年芋が植えられたり、寒風吹きすさぶ梅園には春を待つようにちらほらと一輪二輪梅の花が咲き始めているのです。
今年は事の外寒いため、また新年早々ぎっくり腰を患ったためついつい億劫になり、毎年春先に行うはずの落ち葉を拾って苗床を作る作業が一ヶ月も遅れているのです。このままだと3月初旬に行う予定の種芋の植え付けが間に合わないと気を揉んでいますが、これも仕方があるまいと内心諦めているのです。
先日島根県へ講演に出かけた折、人の住まなくなったであろう山里の人家が崩れしままになっているのを見ました。屋根は傾いて落ち、障子も破れて無残な姿をさらけ出していました。配られることもなくなった郵便受けの赤い箱には住んでいたであろう多くの家族の名前があせることなく残り、戸口に印象的にかかっていました。私の町でも例外ではなく限界集落のあちこちにこんな光景が見え始めてきました。多分もう10年もすれば準限界集落は限界集落となり、原型集落は消滅するのでしょうが、日本の政治の貧困や地方自治体の無力非力を嘆かずにはおれないのです。何とか地域を守りたい。そう思う心の焦りがいっそう募る今日この頃です。
「人の手が 入ると自然 温かい 田舎は逆の 道を辿りぬ」
「人住まぬ ようになりたる 家崩れ 自然に帰る 涙出そうに」
「親・子・孫 田畑守る リレーさえ バトン途絶えて 荒れるに任せ」
「吾が輩も 楽して暮らす 術覚え 怠慢ばかり 気だけあせりて」