○月刊社会教育2月号に原稿を書きました
10月ごろ、財団法人全日本社会教育連合会が発行している月刊社会教育の編集長さんから、企画連載「社会教育一筋」というコーナーへの寄稿原稿依頼のお手紙をいただきました。若い頃「月刊公民館」「月刊広報」とともに愛読していた雑誌なので、「月刊社会教育」の存在は知っていたし、「社会教育一筋」でもないのですが、ある意味心の在り様では「社会教育一筋」なので引き受けることにして、早速その日のうちにたった一日で原稿を書き、2~3日筆を休めて冷静な目で読み直して修正し、メールで指示のあった編集長さん宛てに送りました。
年末のドサクサや年始の雑事で原稿を送ったことなどすっかり忘れていた昨日、掲載本が2冊贈られて来ました。切りの良い60ページと61ページの間に付箋が挟まれ見開きになった紙面は思ったよりゆったりしていて、もう4~5行多くても良かったと思いましたが、余白のゆとりのお陰で読み易く編集されているようでした。
さて今回の原稿依頼にあたって、私の社会教育一筋とは一体何なのかを考えました。私のこれまでの人生はある意味まちづくり、ある意味社会教育なのですが、社会教育という視点で考えると、①青年団、②公民館、③21世紀えひめニューフロンティアグループ、④人間牧場と概ね4つくらいが考えられるようです。
もし4つの場面がなかったら私の今は存在していないのですから、竹の節を重ねて繋いだような社会教育は一筋といえるのかも知れません。普通タイトルを決めて中身を書いたり、中身を書いた後でタイトルを書いたりするのですが、今回は原稿を書いた後に「これからがこれまでを決める」と決めました。読まれた方は「あれっ、逆ではないの?」と思うかも知れません。普通は「これまでがこれからを決める」といわれています。私の自著本に「昇る夕日でまちづくり」という本を10年前に出しました。その時も「えっ、何で夕日が昇るの?」と不思議がられました。私を知っている人は「若松さんらしい逆転の発想だね」と直ぐに理解してくれました。逆立ちして見ると夕日は昇るのですから・・・・・。
今回のタイトルはわれながら天晴れです。これまで66年間生きてきて、そのうちの40年余を社会教育に関わって生きてきました。ゆえに今も社会教育的心で社会教育とかかわり生きていられるのです。しかし私にとってこれからの生き方がこれまでを決めると考えれば、これまで以上に短いであろう社会教育的人生をうかうか生きられないと思うのです。
私のは6年前から始めた人間牧場での活動を進化させる夢があり、そういう意味ではこれからなのです。青年団も公民館も21世紀えひめニューフロンティアグループもじょうごの細い口から流し出すのではなく、じょうごの口を上に向け、坂の上の一朶の雲を見て上って行くように歩み続けたいと思うのです。
「これからが これまで決める 人生と 社会教育 一筋思う」
「今までを じょうご口から 落とすより じょうご口から 上見て生きる」
「これからが 大事と心 言い聞かせ 今日も明日も 湧潮流で」
「誰の目に 触れるか俺の 文章に 三振凡打 それでもいいや」