○人間の第三の枝
私はこれまで、大小の旅をして日本列島のいろいろな場所を訪ねて歩きましたが、行く先々で数百年から千年にも及ぶ長い時代の風雪を生き抜いてきた、とてつもなく大きな巨木と呼ばれる杉や楠、欅、桂、松などの樹木に巡り合ってきました。巨木を目の当たりにする度に、その生命力の強さに深い感動を覚えると同時に、百獣の王といいながら高々百年しか生きることしか出来ない人間の短い寿命のはかなさをしみじみ思うのです。
私が巨木と対峙して自分の目で見えるのは木々の容姿のみですが、足元の下つまり地中では網の目を張り巡らすように無数の大根・小根・細根が伸び、地上の樹木が生きて行くために必要な養分や水分を、調節しながら吸い続けているのです。かつて私は300鉢もの盆栽を育てた経験があるので、木の癖と同じように地中にも根に癖があることを知っているのですが、樹勢が強い木は必ず根も元気なようなのです。
さて樹木の容姿を見て根の様子はある程度連想は出来ても、樹木の年輪の様子や木が生きていくためにどのようなメカニズムのドラマが繰り広げられているのかは、ネイチャーレクリエーションで聴診器で木の中を流れる水の音を聴いた不思議な感動以外、浅学な私には推測の域すら脱することが出来ず、到底知るよしもないのです。巨木を見ながらふと、自分の体には3つの枝振りがあるのではないかと思うのです。
一つ目の枝ぶりは体本体です。人間の体は胴体と手足、それに首で繋がった頭で構成されています。容姿や顔が男前だとか美人だとか、あるいは足が長いとか短いとか言っていますが、五体揃っていれば十分なのです。二つめの枝ぶりである体の中身は、足の先から手の先まで張り巡らされた血管や神経が臓器によって動かされ、何処に何があってどんな働きをしているのか知らなくても生きて動き続けているのです。
さてもうひとつの三つめの枝ぶり、それは脳の枝ぶりです。私たちは過去と現在に生き、未来に生きるのですが、過去というこれまでどんな生き方をして生きたのか、今どんな思いで生きているのか、これまで歩んだ人生が脳の枝ぶりと一致していることを知らねばならないのです。そして最も大切なことは、これから未来に向かってどんな生き方をしようとしているのかが問われようとしているのです。
私たち人間は周りの環境によって生かされていることは紛れもない事実です。ゆえに自分の思ったように生きられないとついつい、自分の過ちの原因を周りの環境のせいにして、嘆いてしまうのです。自分の人生が上手く行かないと嘆く前に、自分の脳の枝ぶりを直すことや成長させることを考えなければなりません。つまり脳の枝ぶりをよくするためには、毎日三度の食事をするように、脳にも栄養を与えなければならないのです。
脳の栄養とは何か、それは情報です。人間はネガティブな情報を入れるとネガティブな行動が生まれ、ポジティブな譲歩を入れるとポジティブな行動が生まれるように出来ているのです。私も遅ればせながらそのことに気付き、努力しているお陰で以前よりましな枝ぶりの人間に成長しているのです。老木ゆえ若木のような生長は望むべきもありませんが、それでも剪定や植え替え、施肥、水、土、空気によって枯れ早かれ枝を落としながら幾分か若返っているのです。
「枝ぶりと 根ぶりに加え 第三の 脳の枝ぶり 肥料情報」
「第三の 枝ぶり良くば 人生も ポジティブなれる わきまえ生きる」
「今日もまた 脳に情報 肥料やる 少しだけだが ちょっとは進化」
「さあ俺も 生きるからには しっかりと 残り少ない 人生だから」