○満月の関門海峡を通る(その5)
館長さんと係長さんに行橋駅まで送ってもらい、九州の山並みに沈む真冬大寒の夕日に見送られながら日豊本線で小倉へ向かいました。
築上町への行き帰り、久しぶりに福岡県小倉駅へ立ち寄りました。新幹線と在来線が入り混じっているため、地方都市とはいいながら駅周辺は都市計画に基づいた整備が進んでいて、動く歩道やコンベンションホールなど、目を見張るような施設が沢山あるのです。しかし行政のこうした箱物への先行投資も少し的がはずれ、人の入りやテナント入居率の低迷など、苦戦を強いられてしているようにも見えました。
小倉駅の北口を出て長い階上の動く歩道を通り地上に降りると、約1キロほど歩いただけで松山行きの船着場があります。少し早いとは思いましたが寒い時期ゆえ、また陽もとっぷり暮れて何することもないので、両手に少し重めの荷物を抱え徒歩でフェリー乗り場に到着しました。乗り場駐車場では乗船するであろうトラックやトレーラーが、係員の赤い懐中電灯棒の指示に従って誘導されていましたが、私が乗るであろうフェリーは既に着岸して大きな船体を横たえていました。プレハブのような待合室にお客はまだ誰も姿を見せていませんでした。
そのうち時間が経つに連れてトラックの運転手さんが何人か、乗船手続きのため待合室に出入りするようになり、また乗用車と一緒に乗船する人たちも集まり始めました。それでも平日木曜日とあって乗客の数は数えるほどまばらでした。出航55分前の午後9時に乗船を許され船に乗り込みました。
予約に基づいて買い求めたチケットには110ー6とプリントされ赤鉛筆で丸印がされていました。私の部屋は2等110語室、ベッド番号が6なのです。ベッドといってもシーツをつけた下敷きの毛布と上に着る毛布が一枚、それの枕が一個だけの簡単なものなのです。
私は早速別途メーキングをして身辺を整理し、船内の風呂に向かいました。前日の往路便でもその日の復路便でも私が一番風呂で、汗をかくほどゆっくり入浴し旅の疲れを癒しました。風呂を出て売店や食堂のあるエントランスへ行くと、早くもあちこちで酒盛りが始まっていました。消灯が11時なので1時間半余りの束の間を皆楽しんでいるようでした。
船内放送で関門海峡大橋通過は出航後20分過ぎと知らされました。寒さが身に染みるこの時期なので、そんな船内放送などで動こうとする物好きな人は誰もいませんでした。私は長い通路を通って船尾に出ました。この日は満月で、冬としては風もない穏やかな暗い海に船の航跡が見え、船の航路を示す灯台ブイの赤や青の点滅灯が鈍く光っていました。門司の灯りに続いて下関の明かりが見えてきました。門司は3年前、下関は昨年訪ねているので、特に下関は下関タワーや唐戸市場、赤間神宮辺りを頭に描きながら大橋通過を待ちました。
やがて雲間に見え隠れする月とともに本州と九州を結ぶ関門海峡大橋が姿を現しました。多分この海の下には何年か前歩いて渡った関門トンネルもあるのだろうと想像しながらゆっくりと通り過ぎる端を眺めました。月明かりの大橋はとても美しいものでした。先日島根へ行く時渡ったしまなみ海道の10の橋といい、来月4日に渡る予定の瀬戸大橋といい、日本の海峡や島伝いに架かる橋は美しいと思いました。
船は関門海峡を通って瀬戸内海に入り、やがてスピードを上げながら目的地である松山を目指して満月の海を走り、私は部屋のベッドに横たわり、浅い眠りにつきました。
「行き帰り 小倉の駅を 見て歩く 随分立派 リトル東京」
「橋通る 橋見上げるも それぞれに 趣きありて 感傷ふける」
「満月と 大橋コラボ 見る機会 滅多にないと コート襟立て」
「海人が ゆえに暗海 ただ一人 眺めて今日を 振り返りつつ」