○菅谷たたらを訪ねる
先日講演のため島根県雲南市吉田町を訪ねました。2メートル近くの大雪の中でも逞しく生きる人たちに出会い、自分の心の有り様をもっと強く持たねばと、心新たにさせられました。
講演に行くと知人や友人に出会ったり、その土地の美味しい食べ物や温泉などに浸かり、違った楽しみを味わうことができますが、もう一つの楽しみはその土地の歴史や文化に触れることです。多分それらは私の異文化ギャップとなって、私の基層深くに蓄積され様々な場面で生かされているのです。
私はこれまで島根県や鳥取県の殆どの町や村を歩いていますが、今回は若松進一島根事務所を自認する旧友松島俊枝さんの案内でした。ゆえに私のかゆいところを心得ていて、雪深い菅谷たたらを見学に連れて行ってくれました。菅谷たたらは何年か前に時間がないためちょい寄り程度でしたので、ボイス付きの説明に興味森々でした。
菅谷たたら山内には、かつてたたら製鉄が創業されていた高殿と呼ばれる施設が唯一残されていてます。吉田町でたたら製鉄が始まったのは鎌倉時代だといわれていますが、この時代から中世までは「野だたら」といわれる移動式の製鉄法が行われていました。
近世に入り吉田町でも高殿を構えて操業が行われるようになると、村内のあちこちで盛んにたらら製鉄が行われ、企業たたらとして隆盛を極めるようになりました。私が訪ねた菅谷高殿は1751年から170年間の長きにわたって操業が続けられ、大正10年にその火が消えましたが、鉄山経営の事務所的役割を果たした元小屋や、たたらの塊を粉砕する大銅場など、山内には当時のたたらに関する施設群が現存していて、世界で唯一の鉄の歴史村を垣間見ることができました。たたら製鉄に従事した人たちの住んでいいた山内や金屋子化粧の池、鐡泉丸、村下、村下坂などのいわれを高殿の静まり返った中で興味深く聞きました。
高殿の近くに樹齢200年と伝えられる桂の木が立っていました。神木らしくしめ飾りがかけられ、根元に小さな祠が祭られていました。私はまだその木の四季を見ていませんが、春の花はまるで溶鉱炉の炎のようだといわれています。春の芽吹きや秋の紅葉も見事ならしく、今度は是非にも炎のようだと形容される頃に訪ねたいと思いました。
鉄は日本人の歴史にとって大きな役割を果たしています。工業的な鉄の生産が始まったのは近世になってからであり、そのルーツを辿ると多分大陸との交易の道が見えてくるのでしょうが、雪深いこの地に日本の鉄の歴史のルーツがあることを、わたしたちはもっと、次の世代に伝えなければならないようです。
「雪深い 菅谷たたらの 山内に 足を踏み入れ 歴史ゾクゾク」
「春四月 桂の花の 咲くころに 炎と燃える 花を見たいと」
「高殿の そこここ見える 人の知恵 感心しつつ 話聞き入る」
「日本の 各地に残る 地汗跡 基層に深く 刻みてあとに」