○雪の島根県雲南市吉田町へ
一年中、まるでフーテンの寅さんのように、木になる鞄を提げて全国を旅している「進ちゃん」こと私は、今年も元気に全国行脚の旅を始めました。手始めに招かれたのは島根県雲南市吉田町でした。この町はかつて飯石郡吉田村といって、鉄の歴史村をキーワードに教科書に載るほどアカデミックで活気あふれる活動を行い様々な情報を発信していました。その後平成の大合併で雲南市の一部となり、村の名前もまるで格上げされたように吉田町となったのです。
今回の仕事の源流をたどれば、小学生5人の小さな民谷分校の地域コーディネーターをしている松島俊枝さんから、「学校の地域支援の在り方についての学習会の講師で来て欲しい」と声がかかったからでした。松島さんとは15年前に島根県公民館大会が美保関町で開催された時、記念講演講師としてお邪魔したことがきっかけでした。松島さんは当時吉田村田井公民館の主事として活躍をされていて、すっかり意気投合し島根へ行く度になにかとご厄介をかけている間柄なのです。
私はこの話があった時少し躊躇しました。というのも今年は例年になく寒く、雪深い中国地方の山間部へ行くには交通お便が気になること、二日目の15日土曜日の夜にはギノー味噌の田中社長さんの肝入りで宇和島へ行かなければならない外せないスケジュールが入っていたこと、学校支援の話ができる専門家ではないことなどでした。でも綿密な計画を立て、松島さんの全面的な協力をいただき、最終目的地である宇和島まで距離程と時間を割り出し、雪道に慣れている松島さんが世羅町から吉田町まで運転をしてくれたのです。
往復700キロのうち200キロ以上を時には2メートルを超す雪の壁を、すり抜けるようにスリリングに走りました。西国四国に住む私にとっては、2メートルの雪などめったにお目にかかれないとあって、車の中から車窓の景色をカメラに収めたりしました。
それにしても雪国の人はしたたかです。14日の夜の集会もほぼ満員、15日午前中の集会もほぼ満員でした。察するに田舎の雪道をかき分けて集まったのでしょうが、まねのできない熱心さだと感心しました。もし私たちの町に少しでも雪が降るとこんなに大勢の人数が集まっていたかどうか、ただただ感心するばかりでした。
「縁あって 二メートルもの 雪積る 中国山脈 分け入り訪ね」
「積もる雪 ものともせずに 集まりし 人の熱意に 感心しきり」
「桜の木 白い雪つけ まるで花 咲かせたように すっくと立ちぬ」
「雪道を スノータイヤで スイスイと 雪慣れ運転 ハラハラドキドキ」