○私の記憶装置が手元から消えた
2005年3月31日(平成17年)をもって長年務めた役場を教育長を最後に退職し、2005年4月1日から始まった私の自由人生活で、妻とともに私に寄り添うような形で付き合ってくれているのはパソコンでした。在職中は部類のパソコン嫌いで、ワープロやパソコンで多少は仕事ができるようになってはいたものの、身を入れて勉強などはしていなかったのです。ゆえに後れを取っていた負い目もあって、本業から離れた時はもう一生パソコンなどには縁がない人生を送れるだろうと安心したものでした。
ところが教育長在職中に、自由人になるであろう予測から講演を引き受けていた相手先から、「演題やプロフィール、レジメをメールかFAXで送れ」と催促が来るようになり、最初はFAX通信でお茶を濁してしていましたが、FAXの調子が悪くなったりFAX受信のためのカーボンが切れたりとトラブルが続発して、相手先にずいぶん迷惑をかけるようになりました。
在職中に味わった電子メールの便利さを思い出し、退職2ヵ月後に仕方なくパソコンを始めたのです。パソコンを学校で習わなかった世代に生まれた私なので、パソコンも最初はトラブル続きで、結局は建築関係の仕事をしている長男と、大学関係の仕事をしている娘婿に世話をかけながら、何とかメールの受信やす審ができるようになりました。
娘婿に勧められて始めたブログや娘婿が作ってくれたホームページによって、一応パソコンを下手糞ながら使えるようになりましたが、相変わらずトラブルの度に息子や娘婿の支援を受けていて、最近は仲間内をいいことに市役所の松本さんや教育委員会の赤石さん、松原さんにも協力を求めている情けない66歳の初老なのです。
さて今使っているパソコンは退職後2台目です。不具合が生じ娘婿がインターネットで購入してくれたものですが、最新のVista機能の東芝dynabookは何かと便利な機能が付いているものの、私の能力では使いこなすこともできず、もっぱら文章作成、メールの受発信、ブログ作成、プリンター接続のプリントやスキャナー使用程度にとどまっているのです。
何ヶ月か前にキーボードに違和感を生じ東芝の修理センターに電話を入れ、遠隔操作と携帯電話で何とか応急処置をしましたが、スペースキーや変換キーが動かなくなったり、MとUの文字が出なかったりし始め、結局は動かなくなり修理に出すことにしたのです。修理は約10日間を要するとのこと、契約している日通が緩衝段ボールを持って指定日に取りに来ることなどを確認して予約、ついには昨日の午後4時、私の元から私の退職後5年余りの記憶装置が消えたのです。修理期間中は代替のNECパソコンを使っていますが、お気に入りなど仲間のブログ更新も殆どできず、忍耐の日々が続きそうです。なくなって初めて私の記憶の殆どを引き受けてくれていたパソコンの重要性を思っているこのごろです。
「手元から 記憶装置が 消えました 六年近く 集めたものが・・・」
「あらためて デジタル時代 生きている 実感しつつ パソコン修理」
「修理など するよりましな 方法は 使い捨てする 今の世の中」
「どこか変 机の上の 様変わり 落ち着かなくて ソワソワしつつ」