○1月4日は墓参り
大晦日に百八つのお寺の除夜の鐘を聞き、終わって間もなく神社へお参りに行く神仏混合のいい加減さを感じながら、これも日本人の今流にいえばファジーなんだと納得していますが、正月三が日が終わった1月4日は、私たちの地方ではまるで喪が開けたように、親類縁者のお墓参りをするのです。お墓にお供えするものは、小みかんと小さく切った餅と干し柿、それに手向ける線香です。それぞれ一式をお盆に盛り車に積み込みました。親父は既に自転車で朝早くお参りを済ませているようでした。
朝食を済ませて準備をし、毎年のことなので自分の家のお墓を起点に、どの墓地から行くかを決めて順番にお墓めぐりです。最近は私の親類も高齢化したため海を見下ろすずっと上の方にあったお墓を、少しでもお参りが楽に出来るようにと海沿いに移転したため、特に昨日のような雨模様で足元が濡れてすべるような日は随分大助かりでした。まず自分の家のお墓に行きました。信心深い親父は往復1キロ程度のお墓に、一週間に一度のペースでお参りをして、お墓の拭き掃除をしたりシキビを入れ替えてくれているので、随分綺麗でした。
妻がお寺で角桶で水を汲んで持参し、シキビの花活けに水を足したり、湯の実の水を入れ替えました。私は選考にライターで二人分の火を点け、妻の分を渡してそれぞれが線香立てに立て手を合わせ、先祖の供養と家族の安全を祈りました。
機能はひっきりなしにお墓参りする顔見知りの人がお墓周辺を行き来していたため、挨拶や近況立ち話に花が咲きまるで墓地外交のようでした。
境内にある一昨年末に亡くなり丁度一年の新仏である叔父のお墓、姉の家のお墓、存命中何かとお世話になった新仏である丸山元町長さんのお墓にお参りをしました。この日は官公庁の仕事始めの日で、役場裏の駐車場に車を止めてお墓参りをしたため、顔見知りの市役所の職員に何人かお会いしてあいさつをしましたが、中には合併をしてからこの6年間、こんな小さな田舎町だというのに一度も出会ったこともない人もいて、その人の行動の狭さか、私の行動の範囲が限定的なものなのか分かりませんが、すっかり驚いてしまいました。
墓地は3ヶ所巡って10数件の家のお墓参りをした後、折角思いついたお墓参りなので、足を延ばして妻の実家のお墓がある八幡浜まで行きました。八幡浜湾を見下ろす大宝寺の裏墓地から見える風景は、妻と結婚して40年近く毎年見ていますが、何処か郷愁をかき立てる見飽きぬ風景です。折りしも12時の時を告げる「みかんの花咲く丘」のミュージックサイレンが鳴って、妻はこの街で過ごした昔を懐かしそうに思い出していたようです。やはり住み慣れた街はいいもののようです。
お墓参りが一段落したので、大洲メッセで買い物を済ませ、オズの湯を楽しもうという相談が二人でまとまりました。これもサンデー毎日のなせる楽しみです。
このところ外食昼食をする時は、二人が別々のメニューを注文し、二人で半分分けしながら二つの食事を楽しむようにしています。これも長年二人で生きてきた智恵でしょうか。機能はお墓参りに名を借りた犬も食わない夫婦水入らずのドライブになったようです。
「正月を 過ぎて二人で 墓参り ついで温泉 楽しむ余裕」
「いつの日か このお墓入る 日が来ると 冗談言いつ 線香たむけ」
「人間の 命はかなき ものにして 町長と叔父 逝き早一年」
「この街で 生まれ育った 言う妻と 歌を聴きつつ 縁の不思議を」