○正月は自分の年齢を意識する日
正月は日本中の日本人が自分を意識する日かも知れません。日ごろは何気なく過ごしている自分という人間が、とりわけ年齢を意識するのです。私もたった一瞬ですが自分の誕生日と共に年齢を意識して66年間生きてきました。今年も神様の前で手を合わせ、前日まで66歳だったのに、「今年は67歳になります。一生懸命生きたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します」と決意を述べました。
小さいころは早く大人になりたいと思って手を合わせました。最近は心のどこかで「歳をとりたくない」という一種の焦燥感があるのか、子どものころや若いころのような新鮮な気持ちは残念ながら持てず、ある意味少し諦め気味で正月を迎えていたようです。
年末友人の清水塾頭から「くじけないで」という一冊の本が贈られてきました。年末の慌しさから書斎の郵便物箱に入れたまま封を切らずに年を越していましたが、元旦にそのことに気付き、急いで封を切りました。中から一冊の薄い詩集が出てきました。添えられた手紙には、「~前略~、宮沢賢治や金子みすヾもそうですが、厳しい環境に身を置いて生きたからこそ澄んで研ぎ澄まされたものが生まれるんだと思います。冬の厳しい寒さを経ないと野菜は美味しくならないし、白菜は寒ければ寒いほど甘くなります。このおばあさんもそうですが、笑顔がとても素敵です。このような歳を重ねられたらいいですね。かくありたいと思いました。~後略~」
「くじけないで」の作者柴田トヨさんは99歳白寿だそうです。普通なら肩の荷を降ろす92歳で詩を始めたというから驚きです。詩集には清水塾頭がいうように、厳しい人生を生きてきた人にしか分からない人生の重みがぎっしり詰まっていて一気に読みました。
柴田トヨさんの詩には生かされて生きるというつつましさと風を感じる感性のようなものを感じました。また年をとったらこんな生き方をしたいとも思いました。と同時に、柴田トヨさんから見ればまだ66歳の若造なのに、もう歳をとったような気分で正月をを迎えたことを、深く深く反省しました。
あなたに1
出来ないからって
いじけていてはダメ
私だって 九十六年間
出来なかった事は
山ほどある
父母への孝行
子どもの教育
数々の習い事
でも努力はしたのよ
精いっぱい
ねえ それが
大事じゃないかしら
さあ立ちあがって
何かをつかむのよ
悔いを
残さないために
「九十九の 人の詩集に 励まされ 六十六の 俺はまだまだ」
「何という 遅咲きなんだ この人は 俺は早咲き 過ぎたのかしら」
「トヨさんに 比べりゃ俺は 三ついちと 勇気のような ものをもらいて」
「詩を書いて みようと思い 書いてみた 奥が深いな 俺にゃまだまだ」