○正月に思う
元漁家だったわが家では、元漁師の親父と元漁師の息子がいるものですから、年中行事は漁家でなくなった今でも漁家の風習を守り続けているのです。正月元旦の迎え方も、私が子どものころ教わったことを見よう見真似でかたくなに続けているのです。
わが家では正月元日の朝だけは戸主である男の私が一番早く起きて台所に立ちます。まず若水で顔と手を洗い身体を清めます。そして台所で大晦日に取っただし汁を鍋に入れて、蒲鉾や豆腐などの具材を切りだし汁の中に投入します。煮立てば、前もって洗って水切りした餅を入れます。餅が半煮えになると火元を止めて漆塗りのお皿に二つ盛ります。ひとつは神様棚、もうひとつは二階座敷の床の間に設えた鏡餅を飾った三方の前に供えます。神棚も床の間にも新酒とお光を灯し、敬虔な祈りを捧げるのです。今年の目標を言葉に出して言い、家族の無病息災を祈るのです。一方台所の隅に祀っている仏壇には火で焼いたお餅に生醤油を少し差して供え、お光、線香、白湯茶を供えて感謝の手を合わせて祈るのです。
少し冷めた神棚と三方の雑煮を下げて鍋に戻し煮えたら私のお椀に注ぎ入れて私が食べるのです。私の雑煮の儀式が終わった頃家族が起きて来て、前もって聞いていた個々の雑煮餅の数だけ炊いて、おせち料理を並べ居間で家族に雑煮を振舞うのです。
お酒をたしなんでいた10年前までは、お屠蘇を飲んでいい気分になっていましたが、身体の都合で酒を断ったため、お屠蘇さえも飲まなくなり、形式的なものになってしまいました。
漁家は船玉様という大漁や海の安全を司る神様を大事にします。子どもころは漁船やあちこちにある小さな祠などを回って小さく切った雑煮や田作り、神酒などを供えて歩きましたが、今はもうその風習は佐sが似なくなりました。こうした迎春の風習も私一代で終りかと思うと何か寂しい気もしますが、願うことなら少しだけでも息子に伝えてやりたいと思っています。
私が家の存在をしっかりと意識したのは結婚が決まった時でした。親と同居をすることに多少は抵抗もありましたが、同居を了承した妻とやがて生まれた子ども4人に私の兄弟二人、両親、祖母と一時は10人近い大家族を形成して暮らしました。ゆえに妻の苦労は並大抵ではなかったと思うのです。
30歳で家を建て、貧乏ながらも4人の子どもを育て、やりくりしてどうにかここまで辿り着きました。私の半生からすると37歳になった長男息子はもう代替わりの年齢なのです。楽隠居などとは努々思っていませんが、わが家のルーツを考えると、そろそろ政権交代を決断しなければなりません。息子にとって今は経済的にきついかも知れませんが、日本の家庭はこうして延々と生き続けているのです。
今年はそのことをわきまえて、身辺の整理をしなければなりません。年末には次男が大掃除を手伝ってくれました。私たちが勿体ないと思っていたものを、平気でゴミ袋に入れてゴミにしてくれました。私もゴミ袋に入れられないようにもう少し隠居予備軍として頑張りたいと思っています。
「今年は 色々思う ことありて 違う正月 迎えた気分」
「雑然と していた机 片付きて 何処か違った 雰囲気醸す」
「神仏に 祈り捧げる 今日の朝 いつもと違い 身も引き締まる」
「親父より 受け継ぐ風習 長男に そろそろ伝え 役目終えたい」
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そうかもしれませんね~神様は氏神様とか
地域を守り、仏様はそれぞれの家を守る
やっぱり陰陽 両方必要だそうですよ。
今年は 誰も来ない予定で 豆と数の子しか
用意してませんでした・・・友人が近くを通るからと
やってきました(笑) 質素なお正月に遭遇です
友達だからいいか・・・
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kazuさん
「正月は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」とはよく言ったものです。
日本人は神様と仏様を同時に崇拝しますね。神仏を自分の都合のいいように使い分けるのでしょうか。
あなたのように信心深くない私は、手を合わせ、拍手を打つことくらいしかできません。
正月はのんびり過ごしています。
人間牧場主 若松進一
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今年もよろしくお願いいたします。
我が家も、父が居た頃は、父が3ヶ日しきっていました。
息子は、少し略しています(笑)だから私が補佐
我が家は6ケ所にお雑煮をお供えします。
お雑煮食べるのは義母と主人、私の3にんだけです。
長男次男は仕事でいないので、静かな静かな
お正月、主人は好きなマラソンをみてます
私は、神棚で祝詞、仏壇で般若心経唱えて
新年のご挨拶、
不況ではありますが、何とか年を越せました
これも ご先祖様、神様のおかげと感謝しています。