○自分の過去は作り直すことができるか
今年も色々なことがありましたが、一年365日の日輪を加えながら一つの年輪を刻もうとしています。自分のこの一年、そしてこれまで生きてきた66年の人生を振り返ると、過去となった日々が懐かしく思い出されるのです。私はどちらかというとポジティブな人間ですから貸しボート人生、つまり余り過去を振り向かず生きていこうと思い、辛かったり苦労したことなど余り考えずに生きてきました。そんな私を見て妻は、「あなたは楽天的だから」と言いますが、私にだって試練は一杯あったのです。でもそれを嘆いたところで自分を助けてくれる人は殆どいないし、自分が惨めになるだけなのです。
近頃ふと思うのですが、自分の過去は歩んだ道なので変えようがないと思っていたのに、「過去は作り直すことができる」と思い始めたのです。多分誰もが「そんなことはない」と反論するでしょうが、例えば夕日をテーマにしたまちづくりなど、私自身が半信半疑だったのですから、誰もが信じてくれないのは当たり前なのです。次々と襲い来る不安におののきながらも、また大きな反対のうねりに飲まれながらも、一生懸命努力してきました。結果的には何とか突破口を見出し一定の成果を収めることができました。ある意味ラッキーエンドでしたが、それは今の自分がある意味それなりの生き方をしているからそう思えるのです。
人間は幾つかのスライドのようなコマを持っています。過去を振り返る時、幸せなスライドのコマがリセットされると、過去は幸せなドラマになるのです。人間の記憶とはそれ程いい加減なものですから、自分の過去というドラマは幾らでも作り直すことができるのです。
私にとって思い出したくない過去の中に、宇和島水産高校の実習船で珊瑚海までマグロを追った遠洋航海があります。この時期になって海が大時化になった時ふと思い出すのは、正月過ぎの1月14日、マグロを腹いっぱい抱えた実習船愛媛丸は伊豆半島沖で、思わぬ低気圧の洗礼を受け、1時間に1ノットという速さで船を風上に立てるのがやっとの状態でした。船長の「船が沈没して死ぬかも知れない」という言葉に、若干18歳の私たちはパニックになりました。
船は幸運にも低気圧の中から脱出し、二日後幸運にも水平線の彼方に富士山を見ることができたのです。今はその恐怖など忘れていい思い出として記憶に残っています。これは紛れもなく私自身が、過去をポジティブドラマに作り直すことができたからなのです。
そう思えばいい加減ゆえの過去をどんどん自分流に作り直して生きた方が得策だと思うのです。ただし絶対できないこともあるのです。例えば大学へ行きたかったのに私は、親父がガンで倒れ帰郷しなければなりませんでした。これは紛れもない事実ですから大学を卒業したなどと?のドラマを作ることはできません。よく政治家が「○○大学留学」などと?を言い、学歴詐称で世間の批判を浴びて折角つかんだ当選を辞任に追い込まれたりするのです。
過去と正しく向き合う、そして事実は事実として受け止め、いい生き方のよすがにしたいと、今日が最後で終わる2010年の大晦日の朝思いました。
「三六五 日輪刻み 終わろうと している今年 いい年だった」
「また一つ 年輪刻む 重さかな 目出度正月 目出度くもなし」
「過去などは 変えれないもの 思ってた いやいや違う 変えれるはずだ」
「明日からと 言わず今日から 始めよう さすれば結果 もっと成果が」