○ウラジロ採り
昨日の天気は異常としか言いようのないような大風でした。地元の漁師さんの言葉に「おねあがり」という言葉があります。天気が悪いままさらに悪くなることを言うのですが、双海町の漁師さんはここのところの「おねあがり」の天気で24日以来漁にも出られず、このまま正月を迎えることになりそうです。漁師さんの胸算用では正月前に何日か出漁して、正月売り場と言われる年末に少し儲けて正月を迎えるはずだったのでしょうが、少し当てが外れたようです。
今日は午前中で孫たちが迎えの車に乗って帰っていったため、久しぶりに家の手伝いをしました。灯油をストーブやお風呂のボイラータンクに入れたり、仕事に言った妻から頼まれていたことをこまごまやりました。また裏山に注連縄飾り用のウラジロを取りに行きました。裏山も昨日の大時化でぬかるんでいて、桧林の中の急な山道は注意をして登らないと転げそうで、用心しながら裏白を探しました。
私たちが子どものころ、ウラジロ取りは子どもの役目となっていました。正月が近づくと子どもたちは2~3人が連れ立って、自分たちだけが知っている林に出かけ、葉っぱの綺麗なウラジロを見つけて採集したものでした。我が家は漁家だったため船玉様に備え縁起を担ぐため、上等なウラジロが親父から要求されました。葉っぱの痛んだいい加減なウラジロでは納得されず、もう一度とりに行くよう叱られたことも何度かあったようです。
そうした子どものころの習慣が本能となって、今では自分だけの秘密の場所を確保しているのです。今日もその場所に行き、ものの10分ほどで予定していた50枚ほどの綺麗なウラジロを確保することができました。私は神仏に余り深く傾注する方ではありませんが、正月のお飾りやお盆の仏事、それに毎月21日のお大師様の日などはわが家の伝統的行事として大切に守っています。それは先祖を敬うことであり、神仏に件子にkら背rことを感謝することでもあるのです。
このささやかな祈りの習慣を次の世代に伝えることこそ日本人としての務めなのでしょうが、残念ながらその道筋は立っていません。長男家族が3月にはわが家へ帰り一緒に住む予定なので、そのこともしっかりと頭において教育を品けれればならないと思っています。わが家も何かにつけて、そろそろ政権交代の時期かも知れないようです。
「ウラジロを 採りに林へ 分け入りぬ 今はすっかり 本能なりて」
「この風習 息子や孫に 伝えたい 思いどおりに 伝えられるか」
「宗教心 なければ感謝 する心 育たぬものと 心構えよ」
「年末が 来れば必ず やることと 心に決めて 今年も自然」