○公友会報第23号への投稿
一年に一度の勉強会と一年に一冊の機関紙への投稿、そして年会費2千円の振込み以外何の制約もない、公民館OBで作っている愛媛県公友会の会員になって23年になります。今年は当たり年で勉強会は私の人間牧場を会場として、7月4日に開かれました。志を強く持っているものの会員の加齢による体力の衰えはいかんともし難く、徐々に寂しさが募る会のようです。でも若い人たちも会員に加わり、そろそろ脱皮の頃かなあとも思いました。
さて、機関紙への投稿ですが、今年で23号となりました。私も何回か投稿を休んでいるようですが、それなりに消息や思いを原稿に書て投稿してきました。今回も「私設公民館『煙会所』から『人間牧場』へ」というタイトルで少し大目の原稿を下記の通り書いているようです。
盟友古野セキエさんは「人間牧場に佇んで」というタイトルで、勉強会の模様をルポしてくれています。また私似のすぐ後ろにこれまた盟友の菊地邦求さんが「新聞投稿を続けて43年」と題して投稿していたり、渡邊正一事務局長さんが「平成22年度夏の勉強会が開催される」と題して当日の様子を書いていただきました。
人は必ず歳をとり一度は死ぬものです。私も冥土の旅の一里塚をただ今ひたすら歩いていますが、「記録しないものは記憶されない」のですから、機会を得て自分の思いを書き綴って行きたいと思っています。
昨日のことさえ覚えていず、忘れてしまうような年頃になりました。ただ今唯一の記憶装置は、パソコンに向かって毎日書き綴っているこのブログしかないのです。パソコンは正直で、書いたことをそのまま記憶してくれていて、思い出そうとすれば一定のルールで検索する術さえ覚えていれば、即座に思い出させてくれるのです。パソコンは嫌いだとその無機質ぶりの悪口を言う人もいますが、私にとっては大事な大事な記憶装置なのです。
「こんなこと 書いたかどうか さえ忘れ 機関紙読んで 赤面少々」
「酒を飲み 風呂敷広げし 友たちも 何だかんだと いいつつ生きて」
「俺はまだ 元気ですよと 主張する 年に一度の 投稿記事で」
「パソコンを 記憶装置に 使ってる ゆえに記憶は 呼び出し可能」