shin-1さんの日記

○下り坂とまさかの人生

 私はただ今66歳、世にいう高齢者です。この歳になると久しぶりに会った同級生が異口同音言うように、余りいいことが起らない、いわゆる下り坂人生を肌で感じる人が多いようです。給料が入らず何がしかの年金も、減額や介護保険などを差し引かれ、妻から貰う小遣いさえも白い目で見られる有様のようです。

 追い討ちをかけるように地元ではこれまでの地元付き合いへの不義理火山が爆発したように、自治会長や社寺総代などを押し付けられ、自分では若いと思っても、老人クラブからは「もうあなたも歳だから入会するよう」せがまれるのです。

 たまに病院や健康診断に行けば、悪いところは直るどころかさらに悪くなり、今まで何ともなかったところに異常が見つかり、貰った薬で腹が太るほどの荷物を持って病院から帰るのです。歩いてはけつまずいて転んで怪我し、筋力を落とすまいと始めた体操すら筋肉が痛くなって止め、白髪や抜け毛で禿が気になり、歯もがくがく、老眼は何処へ置き忘れた分からなくなり、耳が聞こえなくなってテレビの音は次第に高くなって、子どもからうるさいといわれる始末です。耳が遠くなった分小便は近くなり、夜寝ていてもトイレに起き、一緒の布団に寝ている妻ですら、背中を向けて寝られるのです。そのくせ日ごろは眠く朝は早く目が覚めいい事はひとつもありません。

 まあ久しぶりに会った仲間が言うことを、このように書いただけでも下り坂人生どころか、転げ落ち人生のような感じがして、迫り来る老いと死への恐怖が頭に去来、新聞のお悔やみ欄には同年代より若い年齢の人が、「お先に」と言わんばかりに登場しているのです。

 上り坂人生を感じるのは歩く時に感じるばかりで、上り坂人生などを感ずる出来事は皆無で、下り坂人生をただ今進行中ですが、最近「まさか」というもう一つの人生があることに気付きました。突如として親戚や友人の訃報が届いたり、ガンの宣告を受けもう長くはないと思しき友人の見舞いに病院を訪ねたり、五里夢中の様相です。

 私にもこれまで「まさか」は何度かありました。親父がガンになり志望の大学を諦め帰郷したこと、病魔に襲われ役場への転職を余儀なくされたこと、足をチェンソーで切って大怪我をしたこと、胆のうにポリープが見つかり摘出手術をして13キロ痩せ好物の酒を止めたことなど、身体をめぐる怪我や病気だけでも「まさか」は沢山あります。いい事の「まさか」はそんなにありませんが、これからは「下り坂」に「まさか」という人生が自分の身にも加わります。でも下り坂やまさかを考えてネガティブに生きるより、何かいいこと有りそうと好奇心を働かせ、家族や仲間と楽しく生きるよう心がければ、人生は案外楽しいもなのです。


  「気がつけば 下り坂行く 高齢者 まさか加わり 寝ても覚めても」

  「ネガティブに 生きるも一生 ポジティブに 生きれば楽し 二度ない人生」

  「親父まで 生きるのならば 三十年 まだまだ人生 上り坂あり」

  「満期日を 迎えて寂し 保険金 入れぬ故に アリコ気になる」

 

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