○愛南漁協JF共催推進大会の記念講演に招かれて
私と海のかかわりを知らない人は、「えっ、何で漁協の記念講演に?」と思うでしょう。多分私の発想の原点は、以下の私の生い立ちから生まれているような気がするのです。
①下灘という漁村に生まれ海を見て育った。
②生まれた家の家業が漁業で両親が漁師だった。
③子どもの頃から漁師の長男として、将来は漁師になるという長男教育を受けた。
④小学5年生の時、「ジョン万次郎の生涯」という本を読み、大きくなったらアメリカに行くことを心に念じた。
⑤中学校を出ると宿命を運命に変えて宇和島水産高校に入学した。
⑥高校3年の時実習船愛媛丸で珊瑚海まで遠洋航海し地球が丸いことに気がついた。
⑦親父がガンで倒れ大学進学を断念し帰郷、その後家業を継いで7年間漁師をした。
⑧病気で転職し役場に35年間勤めたが、その間産業課で4年間水産行政を担当して荷捌き所、漁村センター
などを手掛けた。
⑨念願叶い総理府派遣青年の船の班長として建国200年のアメリカやメキシコ、ハワイを歴訪して、世界地図
の真ん中に日本がない世界地図を見た。
⑩海に沈む夕日をテーマにまちづくりを行いふたみシーサイド公園などを造り、漁協女性部の指導をした。
⑪海の見える標高130メートルの高台に人間牧場を造って活動している。
⑫愛媛海区漁業調整委員会委員として活動している。
これ以外の海との関係は割愛しますが、まあ指折り数えただけでも海との関係が深いことがよく分かるのです。まさにこれが私のフェースシートであり、これを語らずして若松進一を語ることは出来ないのです。ゆえに今でも全国の水産や漁業関係から講演のオファーがあるのです。
昨日は漁業共済の加入促進に携わる人たちの集まりでしたので、そんな生い立ちを話しながら、漁業者がどう生きたらよいかをお話させてもらいました。お陰様ですこぶる盛況で、講演が終わってからの懇親会では沢山の方々と交流したり名刺交換をさせてもらいました。
当日まで講演が終わると漁協が用意してくれた「青い国ホテル」へ宿泊するつもりでしたが、残念ながら今朝早く所用があって、懇親会を途中で抜け出し夜道を帰郷しました。
嬉しいことに今朝早くメールを開くと参加者から「マーケティングやイノベーション」についての質問や、講演感想が届いていました。昨日の講演は一般向けの話なので詳しい話はしませんでしたが、参加者の中にかなりハイレベルな人がいたことは漁村の未来にとって嬉しいことでした。漁村を変えるのはまさにこのようなイノベーターなのです。愛媛大学の南予へのてこ入れで最近、愛南発の情報が随分発信され始めています。漁村の情報は農村に比べ遅くて少なくて古いようです。
「水産の 講演何故と 思われる 指折り数え ためしてガッテン」
「予約した ホテルキャンセル して帰る 妻も驚き 鍵を開けて」
「水産は 未開の分野 多いゆえ これから先も 楽しみ多い」
「愛南の 海山の幸 美味いねえ 舌鼓打ち 満腹食い逃げ」