shin-1さんの日記

○夢を語った夜でした

 私の名刺の裏が白いのを何かに生かせないかと昨年考えました。「そうだ、この名刺の裏を企業のCMとして売り込もう」と、いつもながら愉快なアイディアが浮かびました。しかし「私のような無名に等しい田舎のリタイアしたおじさんの名刺にCMなど出すはずがない」と、否定する気持ちもありました。

 そんな折、世の中には私の名刺の裏に広告を出してもいいという企業の社長がいたのです。その人の名前は松前町に本社工場を持つギノー味噌の田中正志社長さんでした。田中社長とは奥さんが双海町出身ということもあって、先代も含めてよく知っているし、私の話しにも熱心に耳を傾けてくれ気楽に話せる間柄なのです。ギノー味噌は今年の春先に本社工場が落成し、会社も増収増益をしている頼もしい会社です。

若松進一ブログ

 私の発案を年輪塾塾頭の清水さんの協力を得て二、世にも不思議で人を喰ったような「裏が味噌」というCM名刺を作ったのです。CM料は名刺の印刷代をギノー味噌に払ってもらうことで相談がまとまりました。100枚入り10箱、つまり1000枚の名刺は私の旅の友として木になるカバンと共にこの一年北は北海道から南は沖縄まで旅を続け、この名刺は県内外で思わぬ評判となって、それなりの成果を収めることが出来たのです。

 ところが、こんな私でも一年余りで1000枚の名刺は使いきってしまいました。先日電話でそのことを田中社長さんに伝えると、継続のゴーサインが出たのです。つまり私のやった名刺作戦の効果を認めてくれたのです。

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 昨晩その作戦会議をしようと、田中社長さんは若い営業担当の社員を連れて、待ち合わせ場所である松前町の和風レストランにやって来ました。お二人とも面識のある方で、二人は私の話に耳を傾けメモを取りながら2時間ばかり話し合いました。名刺の件は「裏が味噌」の名刺をもう一度リニュアールして使うことで内々話がまとまりましたが、清水塾頭と話していた新しい名刺案は次の機会にする方向に向かうようです。

 それにしても、中小企業の社長さんも社員も生き残りをかけて貪欲です。革新とは今を否定して生きることをいうのですが、彼らのみなぎるやる気は、何処かの市役所の人に煎じて飲ませてあげたいような心境でした。この晩お互いが頭を突き合わせて語った夢物語は必ずや大きな成果になるに違いありません。

 夢なき民は滅びるといいますが、夢を持ちその夢の実現に向かって行動する限り、不可能はないと自分の過去を振り返りながら思いました。


  「名刺裏 CMいかが 乗ってきた 社長に感謝 配りまくりて」

  「一年で 千枚名刺 全国に 裏が味噌なる 話題沸騰」

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