○戻ってきた貸していたお金
私は北は北海道から南は沖縄まで行動範囲が広いため、沢山の人と出会う機会があります。その中には一度会ったきりの方もいれば、何度も長く付き合う人もいて人それぞれなのです。毎日毎日これ程動いてこれ程ひとと出会って人を見る目は出来ているはずなのに、時々見込み違いな人もいるのです。そんな時は「私もまだまだ修行が足りない」と、自分の眼力の軽さや浅さを悔い、更なる修行をしなければと心を戒めるのです。
そんな見込み違いと思ってたAさんが先日私の元に姿を現しました。その方には知人のよしみでお金を5万円貸していましたが、こちらがお金を貸したことを忘れるほど長く顔を見せなかったのです。私も仕事柄あいにく持ち合わせがないため、相手に頼み込んで寸借することがありますが、私にとって5万円は大金なのでその人の顔を思い出す度に、「貸すんじゃなかった」と貸したことを悔やんだものでした。
それ以来私はお金を貸すルールを自分で決めました。「貸すお金は1万円まで」「同じ人にお金を貸す場合は先に貸したのを返してもらってから貸す」というものです。このルールだとたとえ返って来なくても1万円で諦めがつくし、お互いが借金の深みにはまることもないのです。人は人に頼みにくい金に困り金策尽きる事だってあるものです。そんな時はなりふり構わず恥を忍んで無心をするもので、貸してくれた時はその人がまるで神様に見えるのです。
ところがいざ貸した金を返してくれるよう重ねて督促されると、今まで神様のように見えた人が鬼や蛇に見えるのですから人の心模様は当てにならないものです。私もAさんに同乗し5万円を貸した時は神様のように思われたに違いないのです。私はAさんに督促をしたことはありませんが、借用証も取り交わさずお金を貸したことを悔やんだり、貸したAさんのことを「信用出来ない人」と決め付けていたようです。
私の元に現れたAさんはこれまで10年間、一日たりとも私のことを忘れたことはなかったと真情を吐露し、5万円を返してくれました。「利子はいかほど」と言われましたが、金貸しでもないので利子などいただくつもりは毛頭ないので、元金だけ返していただきました。聞けばAさんも人を信用して連帯保証人になったばかりに印かずきにあって、私が貸したお金もその返済に使ったのだそうで、信用や借金の芋づるで結ばれていました。
5万円の借金は妻にも誰にも内緒でしたが、妻が在宅中に自宅へ返しに現れたのでばれてしまいました。元々私のポケットマネーでしたが、内情を妻に話し妻にそのお金を全て渡したものですから、妻は私の太っ腹に大層喜んでくれました。私も妻も信用を回復したAさんのことは一生忘れないことでしょう。このことで深く学んだことは、知人友人へのお金の貸し借りはご法度ということでした。年金暮らしで人にお金を貸すほど余裕がないと見えるのか、私に金の無心をする人はいませんが、Aさんから人を信じることの大切さも同時に学びました。
「人からは そんな小額 思われし 五万円だが 私にゃ大金」
「金戻る よりにもよって 妻がいる 仕方ないので 太っ腹なる」
「信じれず 遠ざかる人 戻り来る お金と共に 信用回復」
「借りた時 神様見える 人さえも 取り立て鬼に なるから不思議」