○広島県青少年育成県民運動推進大会に招かれて
昨日の瀬戸内海は黄砂が降って視界が悪いものの穏やかで、小春日和の海は冬に向かう季節とは思えないほどでした。前日大洲青少年交流の家で行われた地域教育実践交流集会からの帰りが遅かったため、またその熱気や余韻が残っていたため、多少の疲れと眠気を感じながら、松山観光港からフェリーに乗って広島の宇品に着くまでの2時間余り、船内でぐっすり寝込んでの移動となりました。本当は高速船で行く予定だったのですが、広島での講演の組み立てを考える暇がなかったので、船の中で構想を練ろうと思っていたのに、結果的には何の手立ても出来ず広島入りしてしまいました。
宇品から紙屋町経由広島駅行きの路面電車に乗って、紙屋町の一つ手前にある本通という停留所で降りました。本通りは日曜日とあって人通りも多く、さて電話で出張先へかかった電話で言われたとおり歩こうと歩き始めた矢先、青少年育成広島県民会議の常務理事の嶋末さんから、タイムリーにも携帯が入りました。目と鼻の先に会場となっている広島県民文化センターの看板と建物が見える人混みの中から初対面とは思えぬ笑顔で手を振りながら彼女は現れました。偉い肩書きとはえらい違いの容姿と身の軽さにびっくりしながら会場内に入り、控え室の楽屋へ案内され名刺交換しました。
大ホールでは既に表彰や発表など開会式のリハーサルが行われていて、とりあえず昼時なのでセンター内のレストランの予約席に案内され日替わり定食をいただくことになりました。私の出番は14時20分から80分なので、食事も久しぶりにゆっくり食べ、ドリンクサービスで注文した食後の冷たいトマトジュースをいただきながら、外の形式や道行く人の姿を眺めて時を過ごしました。
楽屋に戻ると1時から始まる開会式に出席する来賓の方々が次々見えられ、慌しく名刺交換をさせてもらいました。県議会の副議長さんや、県警本部長さんなど、また県民会議の会長さんや役員さんなど、滅多に出会えない豪華な顔ぶれに無位無官で値打ちのない私は多少戸惑いました。
そのうち来賓がいなくなり一人となった控え室に、旧友の旧作木村の安藤周治さんが顔を出してくれました。彼とはもう20年を超えた付き合いですがすっかりご無沙汰していて、積もる思い出話や最近の地域づくりについて意見を交えました。彼は私より若いし私と多少違った切り口で全国を回っているので、随分深い話をしてくれましたが、地域づくりの現場に私たちを引き継ぐようなリーダーが不在だと嘆いていました。多少同感しつつも私の周りにいる仲間たちのことを思い出しながら、自分の後に続く人たちが多く入ることを幸せに感じました。安藤さんも県民会議の役員だそうでした。
やがて少し早く進行している時間を告げられステージに案内され私の講演は始まり、音響の素晴らしさに酔いながら90分近く楽しい話を喋り続けました。私の武器はスライドショーなど利用せず、ホワイトボード一つです。ふとケーシー高峰という医学芸人を思い出し、よく似ている自分に気付きました。
講演後先を急ぐ私のために差し回しのタクシーで宇品港まで送ってもらい16時30分発の高速船に余裕を持って間に合い、黄砂で染まった夕日を右手に見ながら航海し、19時前に自宅へ帰ってきました。この一週間は高知や県内移動でかなりハードスケジュールでしたが、右足の軽い肉離れもあって、少し休養が必要だと実感しつつ、今週も忙しくなりそうな予感です。
「久方に 出会う旧友 切り口の 違った話 頷きながら」
「値打ちない 無位無官俺 気が引ける 偉いお方と 名刺交換」
「黄砂振る 小春の海を 行き戻る あっという間の 日帰り講演」
「ステージで ホワイトボード 図解する ケーシー高峰 似ている苦笑」