○お金持ちになりたいという願望
わたしたち人間は多い少ないは別として、何らかの願望を持って生きています。それらの願望は生きてきた人生の裏返しであると時々思うのです。例えば不幸せな目にあった人は幸せになりたいと思うし、貧乏にあえいだ人はお金持ちになりたいと思うでしょう。またガンに侵され余命いくばくもない人は健康で長生きがしたいと思うに違いないのです。そしてその様々な願望は、時には幸せそうな人、お金持ちの人、健康で長生きをしている人を羨ましく思ったり嫉妬したりするのです。
昔の人は一部を除いて殆どの人が貧乏でした。勿論わが家も親父や死んだ祖母の話によると大貧乏で、律義者の子沢山といわれるほどの家族を養うために、おしんという朝ドラにも匹敵する苦労をしたようです。でもいつかは幸せになりたいという願望を持って生きてきたお陰で、そして何よりも世の中が変わったお陰で、お金持ちにはなりませんでしたが子孫の私たちは、祖母の時代の人がうらやむほど幸せになれたのです。
そんな幸せの中にありながら、私たち人間は何故か満ち足らず、相変わらず幸せの青い鳥を探しているし、お金だって毎日あくせくと働いて、「お金持ちになり」という願望のために、妻などは宝くじまで買って一攫千金を夢見ているのです。
今の世の中は若い頃年金を掛けておけば多かれ少なかれ歳をとると年金をいただくよう福祉が充実しています。また子育てにおいても子ども手当などが支給され、もし食べれrなくなっても生活保護を受けれるなど、様々な手厚い保護が受けれるようになっています。
しかし一方で介護保険を引かれたり、日ごろの生活だって電気代・ガス代・携帯電話代などなど、少し注意を怠ると、自分の口座から自動引き落としになっているため、引き落とす金が底をついたと銀行や郵便局から督促が来るのです。いわば暮らしに金がかかる時代のようです。
じゃあ自分の人生において余命を生きて行くのにどれほどのお金があったらいいのか、試算したことがあります。その結果は「えっ、そんなにお金がいるの?」と疑うほどお金がいるようです。しかもその数字は病気や不慮の事故に遭わないということが前提ですから、将来の備えを考えると年金さえ当てにならない時代ですから不安に刈られ、できるだけ使わず質素倹約をして小銭を貯めるという生活を強いられ、頭のどこかに「お金持ちになりたい」という願望が頭を持ち上げるのです。でも宝くじも当たらないし思うようにお金持ちにはならないものだとしみじみ思うのです。年金以外収入の道を断たれた私たちは、もうお金持ちになることは決してありません。でもこうして三度三度の食事にありつけ、考えようによっては幸せな暮らしが出来るのですから良しとしましょうか。
「貧乏を 経験したほど 金持ちに なりたい願望 強いというが」
「もし金が あったらあれも これしたい ないゆえ思う だから生きれる」
「ありそうに 見せる人ほど 借金も あったりするから 見栄え分からぬ」
「祖母親父 貧乏経験 したゆえに 諺言って 私戒め」