shin-1さんの日記

○元収入役藤岡利郎さんの死を悼む

 旧暦の立冬は冬の訪れを意味しますが、秋から冬へと季節が移ることを肌で感じさせるように、昨日のわが町は大荒れの天気で、台風にも似たこの冬一番ともいえる天地を揺るがすような大風が吹き荒れました。その風の中を92歳の親父は止めるのも聞かず自転車をこいで、7キロも離れた下灘の診療所へ診察に行ったのです。診療所の先生や看護婦さんはお余事の無謀とも思える行動に一応に驚いたようで、「この雨風の中をよく来た」と褒めてくれたそうですが、裏を返せば92歳の親父を病院まで車で連れて行かなかった、66歳のどら息子である私の不徳の致すところだと、深く深く反省した次第です。

 何故親父を病院へ連れてゆけなかったのか、言い訳になりますがそれは昨日、役場に勤めていた頃の先輩で、時には机を並べて上司として仕事をした元収入役の藤岡利郎さんが亡くなり、午前中葬儀が伊予市内の農協会館であったため、どうしても外せなかったのです。

 私が66歳になったのですから、役場に勤めていたころ上司だった人たちはそれ相応の年齢になっている人も多く、昨年の年末にはお世話になった元町長丸山勇三さんも帰らぬ人となってしまいました。昨日の葬儀にはかつての先輩上司や友人などがたくさん集まっていましたが、時の流れとは言いながらまた一人お見送りしなければならないことは寂しいものなのです。

 昨日88歳の天寿を全うした藤岡利郎さんは復員後役場に入られ、総務課長や最後は収入役をされた立派な方です。私が駆け出しの頃教育委員会で学校教育課長をされていました。私は社会教育だったので直接の上司ではありませんでしたが、達筆なため再々筆文字を書いてもらいました。当時の役場では珍しい大学卒の博学で、一緒に研修旅行に出かけた時は必ず旅行記を書かれ、コピーして一部をいただいたものです。多分書棚のどこかに埋没しているはずだと、訃報を聞いてから探しましたが残念ながら見つかりませんでした。

 喪主挨拶をされた義理の息子さんの話を聞けば、7月に見つかったすい臓ガンが全身に転移して闘病生活をしていたようで、先日行われたOB会も欠席していたようです。


 藤岡利郎さんの死を悼むように昨日は大荒れの天気で、葬儀に参列するため通った海岸国道には、強い北西の季節風による大波が打ち上げ、まるで塩水で車を洗車しているように沢山塩水を被りました。葬儀が終り自宅へ戻りましたが、降りしきる雨の中で洗車をして塩分を流し車庫に収めました。

 昨日の葬儀会場で昨年12月19日に亡くなった元町長丸山勇三さんの奥さん史子さんにお会いしました。短い時間でしたが、時の流れの速さと思い出を立ち話しました。ある和尚さんの話を思い出しました。「人は二度死ぬ」そうです。元町長丸山さんも元収入役藤岡さんも一度は死んでもう地球上にはいないのです。もう一度の死は人の記憶から消える時だそうです。ゆえに1年・3年・7年・15年と法要をしその人の記憶を蘇らせるのだそうです。法要には参加できませんが、せめて草葉の陰からお二人の思い出を時々思い出してあげたいと思いました。


  「訃報聞く 天も寂しさ 紛らして 波風強く 大荒れ荒れて」

  「旅行記を 達筆書いて いただいた しまい込んだか 探せど見えず」

  「早一年 早いもんだと 立ち話 町長奥さん 少しやつれて」

  「在りし日を 思い出しつつ 遺影見る こぶとり爺さん 一緒演じた」  


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