shin-1さんの日記

○人間牧場に深い秋の訪れ

 このところ忙しくて、人間牧場の存在すらすっかり忘れるほど疎遠になっていたので、昨日は久しぶりに午前中出かけて行きました。というのも先日、人間牧場の農場下に畑を持つ92歳のおばちゃんから、栗の実が畑一面に落ちて、草も引けないようになっている」と電話があったのです。このおばちゃんはかつて私が公民館に勤めていたころ、婦人会長をしていたごく親しい人なので笑って話されましたが、これは一大事と丁度芋畑でサツマイモを掘る日に、参加した皆さんにお願いして、栗のイガをキャリー2杯も拾い集めていたのです。

 その後2週間が過ぎ、残った栗のイガが落ちてはいないかと心配もあったのです。人間牧場の農場の一番下の畑に大きな栗の木があります。野生の山栗なので小さな栗が沢山なりますが、その殆どは毬栗だけでこれまで拾う手間も収穫したこともなく、イノシシの餌になっていました。この木の毬栗は秋の訪れとともに越境して隣のおばさんの畑にも当たりかまわず落ちるのです。

 早速大きな栗の木の下まで降りてみると、電話をかけてくれたおばちゃんが草引きをしていました。気楽に声を掛け、近くに住む叔母から持参した野菜のお礼にいただいたかき餅を差し上げて、毬栗が迷惑をかけたお詫びをしたり、世間話をしながら農作業について色々と教えを請いました。今の農村集落は子どもの声も聞こえず、高齢者も多いのですが家と家が離れているため、殆ど人に逢うこともなく過ごさなければならず、毎日が寂しいと漏らしていました。またイノシシやカラス、ハクビシンなどの有害鳥獣の出没被害に頭を悩ませており、秋だというのにサツマイモさえも食べれないと嘆いていました。「寄る年波ゆえこれから何年生きるか分からないけど、死んでも死に切れない」と寂しく笑って話していました。

 さて、この栗の木も紅葉が始まっていて、間もなく葉っぱが黄色く色づき、やがて昨日のような強い北西の季節風で葉を落とすことでしょうが、今は何の役にも断たず迷惑ばかりをかけているこの栗の木を、最初は切り倒そうと思っていました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 この様子をブログに書いたところ、愛読者のミツバチ師匠である井上登さんから接木をするのなら手伝うと嬉しい連絡をいただきました。「捨てる神あれば拾う神有り」とばかりに早速来年春の接木を依頼しました。多分「桃栗3年」ですから、上手く行けば3年後には栗の実の収穫が出来るかも知れないと淡い期待を抱いているのですが、「獲らぬ狸」ならぬ「拾わぬ毬栗」になる可能性もあるのです。でも再生可能な何がしかを信じるのも悪いことではありません。12月の中旬井上師匠が人間牧場へやって来る予定なので、現地をしっかり見てもらいたいと思っています。

 人間牧場にもいつの間にか深い秋が訪れ、大きなススキの株が満開で強い風にあおられてなびいていました。また人間牧場の入り口付近には隣の人が植えたアマリリスが真っ赤なラッパ状の大輪を咲かせていました。見る人もなく山里にひっそりと咲くススキやアマリリスの花を、愛おしくなって写真に収め一人楽しみました。

 

  「行く秋を 惜しむが如く 咲くススキ 愛おしくなり カメラに収め」

  「この時期に 咲くさえ知らぬ アマリリス 野辺花なりて 一際優雅」

  「栗の木の 下に座りて 話し込む 老婆の顔に 生きた証が」

  「歌ならば 大きな栗の 木の下で 毬栗落ちて 歌は歌えぬ」

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