○五度の隠岐の島・西ノ島町③
私にとって島根県隠岐の島は思い出の地です。この島は昭和46年5月5日こどもの日に結婚した私たち夫婦が新婚旅行に行った場所なのですから、忘れようとしても忘れられないのです。もう40年も前の出来事なので当時のことは断片的にしか記憶はなく、5月の連休というのに肌寒く、名残の八重桜が咲いていたこと、旅先で買い求めた隠岐石楠花を大事小事に持ち帰ったこと、国賀海岸の雄大さに圧倒されたこと、宿泊した民宿が余り綺麗ではなかったものの魚や貝類が美味しかったことくらいしか覚えていないのです。
その後役場職員の研修旅行で訪ねたり、講演にも3度ばかりお邪魔したり、その折一度だけ妻を同伴して連れて行ったりしていますが、今ではすっかり友人中の親しい友人となった角市正人さんが住んでいることもあって、何かにつけて気になる島なのです。
今年の7月7日、隠岐の島・西ノ島町で議員をしている角市さんが、二人の議員さんを連れて人間牧場へやって来ました。角市さんが議員五期目で、議長も経験しているますが、西ノ島にその痕跡が残る牧畑農業の保存運動に取り組んでいる方です。ひょんなことから知り合いとなり、5年前に行われた牧畑シンポジウムに基調講演を頼まれたりしながら交流が深まり、お互い気心の知れた間柄となっているのです。
議員ながら絵を描いたり、素潜り漁をしたり、最近は焼火焼の窯元に通って陶芸までやっているのです。西の島を愛する心は島一番で、島に生えている野生のサンショウを使って「鬼の涙」という商品を開発したり、まあ私にはない特徴を持ち合わせた面白い人です。指折り数えて驚いたのですが、私と角市さんとはまだ4~5回しか出会っていないのに、もう何十年も付き合っているような錯覚にさせるのですから凄い人です。
その角市さんから2ヶ月前に西の島町へ講演に来て欲しいと依頼がありました。私のスケジュールの都合もあって、10月30日~31日で日程調整をすることになりました。角市さんとはメールでやり取りしながらパンフレットも出来上がり、楽しみに再開を待っていました。
ところが、行く4~5日前にこの季節としては大きい台風が日本を覗いながら北上し始めたのです。夏から秋にかけて台風が少なかっただけに、「何でこんな時期に維持の悪い」と思いましたが、台風にも都合があるのでしょう。予想よりスピードがあり進路を東よりに変えたため、直撃は免れましたが、それでも「瀬戸大橋は風で通行止めにならないだろうか?」「隠岐の島行きの船は結構にならないだろうか?」と、かなり気を揉みましたが、待っていてくれる角市さんのことを思うと、「よし行こう」と、金曜日の夜準備をして早めに床に就きました。
台風の風や吹き戻しが吹くまでに瀬戸大橋を渡りたいと午前0時に妻に起こしてもらい、一路島根県に向けて出発しました。自家用車はまだ一年を過ぎた新車なので、高速道路の走りは快適でした。時折台風の余波と思える強風が吹きつけ小雨がぱらつく中、安全運転に心がけながら、双海~伊予インター~瀬戸大橋~米子道~米子を通って、船着場のある島根県七類港まで行きました。船の時間は9時30分なので時間はたっぷりあるので、途中仮眠休憩を取りながら、何度も通ったことのあるなれた道を走ったのです。
前日フェリー船会社に確認したところ、波の高さ3~4メートルという気象予報なので多分欠航にはならないだろうという話でした。七類港で鳥取県江府町の町長さんに偶然いきなり声を掛けてもらいました。聞けば西の島町とは姉妹縁組をしていて交流が続きているのだそうです。一行はイベントの物産展に参加し、町長さんはB級グルメの審査を頼まれているのだそうでした。江府町へは何度か講演に出かけていて、一行の中には顔見知りの人が何人かいて親しくお話をさせてもらいました。