shin-1さんの日記

○自然の色は美しい
若松進一ブログ

 この色を見て何の色だと想像するでしょう。うっすらと筋が入っているのが見えるため、あるいは「何かの葉っぱでは?」と思うかも知れません。正解で実は正岡子規が「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだ、これからが旬の「柿の木の葉っぱ」なのです。昨日私の散歩コースである裏山の急な坂を登る最中、足元に落ちているのを見つけました。自然とはいいながら余りの見事さに目を奪われ、そこら辺を探すと何枚も落ちていて、既に朽ち果てようとしているものもありましたが、2~3枚拾って持ち帰り妻に見せました。妻も私に同調して手に取り、「まあ綺麗、絵に書いたよう」と感心し、「料理の盛り付けに使ったらどうかしら」と提案がありました。

若松進一ブログ

 少し芸術家になったような感覚で、思いを込めて同じ葉っぱを少し遠くから周りをぼかして写真に撮ると、ほらこのように葉っぱだと分かるのです。もしも私が画家ならこの葉っぱを水彩日本画に描くのに、もし私が漆芸家ならお盆のデザインにするのにとしみじみ思いました。それにしても自然の営みは何て不思議で、何て繊細で美しい色を出すのでしょう。じっと色づいた葉っぱを見ていると、飛鳥人の秘宝が眠る正倉院さえも思い出すのです。


若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

 同じ葉っぱでも、ストロボを焚かず自然の光だけで写真に撮るとこのような色になります。また読書の秋を表現するため愛読書「人間学のすすめ」の上に置くと、ちょっとした主張が、また立体的な光と影を写すと器、遊び心でブドウを盛ると食欲の秋も連想できます。残念ながら私の表現はここまででした。でも素人ながらこの写真、雑誌のグラビアに使いたい気もするのです。うーん芸術の秋か、俺には無関係かな?。


  「一枚の 柿の葉拾い 持ち帰る 手っ取り早く 写真表現」

  「この色を 何かに生かす 手はないか 頭の中に 霧が立ち込め」

  「絵に描こう 色鉛筆を 持ち出して アタックするも 同じ色など」

  「自然には 理解の出来ぬ ことばかり ここから始まる 科学の一歩」  


[ この記事をシェアする ]