shin-1さんの日記

○過則勿憚改

 今日の論語カレンダーは8の「過則勿憚改」です。「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」と読みます。「過ちに気がついたら直ぐにあっさり謝りなさい」という意味ですが、人間は歳をとると頑固になって、自分の言動が間違いだと分かっていても、体面を気にして中々謝れないものです。特に目下や思っている相手には維持を通して、結果的にはそのことが元で喧嘩になったり疎遠になったりするのです。

 その際たるものは夫婦喧嘩です。私も昭和46年に結婚していますからかれこれ39年が経ちましたが、結婚当初は余り見受けられなかった夫婦間のいさかいが歳を追う毎に増え、お互い腹に据えかねて丸一日口を利かないことだってありました。今になって考えれば「夫婦喧嘩は犬も食わない」諺どおり、その原因は犬も食わないような他愛のないものだったし、もしあの時お互いが「ごめんね」と素直に謝れば喧嘩をすることもなかっただろうと思うのです。

若松進一ブログ

 妻は当時祖母、父母、私の兄弟2人、私の子ども3人とわたしたちを含めると10人の大家族の中で暮らしていました。私のお安い給料で賄おうと、内職までして爪に灯を点すような生活を強いられていました。そんな折、教育委員会で社会教育を担当していたため、土日も昼も夜も公民館活動に明け暮れ、家には殆ど居ず、やれ研修だと言っては香川大学(社会教育主事講習)へ1ヶ月余りや、青年の船で海外へ2ヶ月余り家を空け、妻の家計簿に「亭主持ち逃げ」という欄があったほど、家計を圧迫するような研修に何度も出かけていました。それはもう「ゲゲゲの女房」で語られたとそっくりな貧乏暮らしでした。祖母や父母、兄弟姉妹といった義理関係もあって頭の中の針がぐるぐる回って切れかかるようなことも何度かあったでしょうが、辛抱強い妻は細かいいさかいはあっても、私に無言の抵抗をしたぐらいで、夫婦別れに発展しなかったのですから、もう感謝するしかないのです。

 私には男、夫、長男、世帯主としての悪しきプライドがあって、特に亭主関白が最高の美徳だと見栄を張っていた時期があって、その頃はそれが間違いであろうと謝ることはせず、何が何でも自分の意見を通していたのです。一度言ったことを謝る面子の悪さは誰でも体験することです。しかし面子を脱ぎ捨て謝る勇気を持つことの方がもっと大切だと分かるのは、ずっと後のことだったように思うのです。

 世の中正直者も沢山居ますが、嘘つきもかなり多いようです。特に?をつかなければ一票に繋がらない政治家は、相手が「嫌い」でも「好き」と言わなければならないし、自分が謝れば人に迷惑がかかる世界では中々謝れないものです。何度か「政治を志してはどうか」と勧められたこともありましたが、そのことが気がかりで時期を逸してしまいました。でも今はその判断が正しかったとしみじみ思うのです。

 これからは加齢と共に人間関係も細る方向に進むものと思われますが、せめて夫婦や家族間だけでも、いや友人や地域など全ての場と機会において、論語の教えどおり「過則勿憚改」を肝に銘じて生きて行きたいと思っています。

  「過ちに 気がつきゃ直ぐに 謝れと 論語の教え 壁掛け諭す」

  「人は皆 面子気にして 生きている そんな仮面を 今になっても」

  「謝れば 丸く収まる はずなのに 意地を通して 糸は縺れる」

  「もう一人 俺の身体に 住み着いた 面子気にする 愚かな自分」

 

[ この記事をシェアする ]