○忘れかけていた若者からのメール
学校でパソコンを習わなかった古い時代に育っている私ですが、少しずつ独学して、今では何とかパソコンをいじくって、メールのやり取りや毎日小まめに日記帳のつもりでブログをかけるようになっています。人から見れば幼稚な私のパソコン操作で今では沢山のメル友にも恵まれ、毎日メールを開くのが楽しみになっています。最初はエッチなメールにドキドキもしましたが、迷惑メールとして一括消去が出来るようになって、メル友のメールに返信したり、時には全国からメールで講演依頼などもあって、請われるままにプロフィールや写真、似顔絵などを添付送付しているのです。
今朝起きてメールを開くと、正直な話忘れかけていた若者からメールが入っていました。松野町役場に勤めるMさんからです。松野町といえば松前町と並んで合併しなかった町ですが、その後合併騒動の後遺症とでもいうのでしょうか、議会と執行機関との対立など、何かと新聞紙上を賑わせているようです。先日も議会提案の副町長廃止案が可決され、前代未聞のような騒動になっているようです。鹿児島県の阿久根市長の専決処分騒動もそうですが、議会がもめるとまちは二分され、行政が停滞して速いスピードで進化している時代の波に、乗り遅れてしまうのです。私も役場に勤めていたころ、船券売り場問題や町名変更問題で議会がもめ、国や県に相手にしてもらえない時代がありました。役場でまちづくりを担当していたため、二つの事件に巻き込まれ、警察の家宅捜査や参考人取調べまで受けたのです。二度とないショッキングな事柄なので、今も私の脳裏に鮮明に残っているのです。
さて役場のMさんからのメールですが、今年の4月21日旧友で元教育長の芝さんを介して、道の駅特産市の総会に講演を頼まれ出かけた折の役場の担当者がMさんなのです。講演が終わって直ぐに私のところにお礼のメールが入り、その対応に感心し私もハガキで返信した記憶があるのです。その時のメールはまだパソコンの中に消さないまま遺しているのです。
Mさんからのメールは、私の話を聞いてから今日までの半年間、特産市の改善に向けて努力している姿がこと細かく書かれていました。いやあ正直嬉しく思いました。私の持論ですが5千人にも満たない小さな町を、いっぱしの町にするには実は役場職員のやる気さえあれば簡単なのです。その例は私です。私も停滞しきった何処にでもある何もない無名の町を何とか有名にしようと頑張りました。100人の中で99人が反対するような夕日をテーマにまちづくりを進めましたが、それなりにいい町を作りました。
森の国ホテルやおさかな館のある道の駅など、物語は既に出来ているのですからやれば簡単にクリアーできるのです。私は役場職員でありながら、毎朝5時に起き役場に行くまでの3時間、道の駅のあるシーサイド公園で清掃活動を12年間もやりました。じゃこ天に串を刺して食べることを発案したり、ちくわを夕日の望遠鏡、夕焼けソフトクリーム、夕日日コーヒーなど、全知全能を傾けて頑張りました。菜の花の種を落として花畑を作り冬の人の来ない時期に人を来させる話題は今も地域住民に受け継がれているのです。
Mさんのメールにはそこら辺のことにどうやら気がついて一歩前へ踏み出した心情が吐露され、つい嬉しくなりました。Mさんのやる気は本物のようです。早速私は彼にメールを送りました。「また逢いましょう」と・・・・。
「記録した ブログ呼び出し 彼のこと 思い出しつつ またブログ書く」
「町もめる その都度役場 翻弄され 前へ進めず 一歩後退」
「心情を 吐露したメール 受け取りぬ 核心部分 気付いて実行」
「町なんて 十人馬鹿と 気違いで どうにでもなる 本気でやれば」