〇はがき通信192号
私にはがきを書くことを教えてくれたのは広島に住む平井悦夫さんです。彼と出会ったのはもう20年も前のことなので何処で何の目的で出会ったのかは忘れましたが、当時彼は広島県新市町という町の役場に勤めていました。字こそ違え「しんいち」という私の名前と同じ町の名前にどこか共感を覚え、いつしか彼と深い関係になっていました。深い関係といっても別に詮索されるような関係ではありませんが、私と同じように怪しげに動き回るばかりか、筆まめに私の元へ達筆ながきを届けてくれたのです。
その後新市町は隣の福山市と合併し、役場職員から市役所職員になりましたが、先日福山市へ特産品ブランド化推進のための講演会に招かれた折、彼はわざわざを足しの公演を聴きに来てくれ、久しぶりの再開を果たしました。昔と変わらず元気そうで、訪ねてきた控え室で昔の話に花を咲かせました。
私の記録による記憶によると、平井さんは私が主宰していたフロンティア塾の講師として、双海町東越の廃屋を利用して1年に4回、10年で40回開催したフロンティア塾・玄冬塾に平成6年2月12日~13日来ています。あいまいな記憶なので深い内容までは忘れましたが、顔と語り口は今も私の脳裏に焼きついているのです。
彼が私の記憶から離れないのはもう一つの理由があるのです。それは公園に来て以来ずっと自分の作ったはがき通信を私に送り続けているのです。多分別の友人知人にも送っているでしょうから、気の遠くなるような努力を彼はしているのです。
私も彼に触発されてはがき通信を一年間毎日作った記憶があります。習いたてのワープロで作りましたが、その後ワープロは使わなくなり、どのソフトフロッピーに収めているのかさえ忘れましたが、いずれ日の目を見て一冊の本にしたいと思っているのです。
私の周りにはこのようにオンリーワンな生き方をしている人が沢山いるのです。そしてその影響を受けながら自らも少しずつ成長してきたのです。もし平井さんに出会わなかったら、私の毎日はがき3枚もなかっただろうと、恩人に感謝せずにはおれないのです。それにしても彼は達人です。私などまだまだ足元にも及びません。
さて私は一体どんなオンリーワンを持って他の人に影響を与えているのでしょうか。お粗末ながら心もとない話です。これから修行してと思いますが、もう後がない崖っぷちの私には望むべきもない話です。仕方がないので自分の潜在能力を目いっぱい生かして、いい人生を歩みたいと思っている今日この頃です。
「百を越え 二百二近い 文届く 書いた人あり 頭が下がる」
「俺にでも 出来ると信じ はがき書く 一日三枚 今では日課」
「いい人に 出会って人は 人となる これから先も いい日と見つけ」
「字が下手と 言い訳言って 書かぬ人 書かぬはがきは 届く訳無し」