shin-1さんの日記

〇校名変更式そして卒業式

 今年も学校評議員をしている私の元へ小学校、中学校、高校の3校からそれぞれ卒業式や入学式の案内が届きましたが、残念ながら先約があって、卒業式は中学校のみ1校へ昨日出かけて行きました。列席者は市長さんはじめお歴々のいわゆる「長」の付いた方ばかりで、「学校評議員」などのありふれた肩書き出の出席は私一人だったのかも知れません。でも人の値打ちなど肩書きで決まるものではないと自分で納得して、堂々と来賓席に座って卒業式を見守りました。

 今年の双海町は異例続きで、63年の歴史に幕を閉じる下灘中学校と同じく、63年の歴史に幕を閉じながら双海中学として下灘中学校を統合する上灘中学校ではそれぞれ閉校式、校名変更式などの行事が行われ、歴史の証人としての意味もあるのです。

若松進一ブログ

(校名変更式での校長式辞)

 先日は下灘中学校の閉校式へ出かけましたが、昨日は上灘中学校の校名変更式が卒業式の前に行われました。上灘中学校は自宅から歩いてほんの3百メートルくらいしか離れていないので、好天に誘われて歩いて行きました。中学校は来月には双海中学校として再スタートするのに、本校舎は耐震診断で危険校舎と診断され壊したままで、まだ着工もされず狩校舎でのスタートとなりました。

 校名変更式は校歌の作曲家の奥さん、作詞家のご家族、歴代校長、歴代PTA会長なども招かれ、かつて13年間も教育委員会に勤めていたこともあって、特に歴代校長先生たちの顔々にであい、懐かしさが込み上げてきました。教育委員会では社会教育を担当していましたが、社会教育施設の充実していない頃だったゆえ、この上灘中学校は文化祭も町民体育祭も、またソフトバールやバレーボールの大会も全てこの上灘中学校が会場でした。ゆえにこの学校は人一倍足を運び、人一倍愛着があるのです。

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(上灘中学校最後の卒業式での卒業証書授与)

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(卒業生たちの合唱)

 上灘中学校では校名が変更するに先立って、記念事業のために実行委員会が組織され記念碑建立や記念誌の発刊が寄付によって行われていて、私も記念誌に紀行文を依頼されました。その文章の中にもう一つの思い出としてその辺のことを書かせていただきました。

 校名変更式が終わると30分余りの休憩時間があって、私たちが控え室でお茶を飲んで談笑している間に、今度は上灘中学校最後の卒業式の準備が行われ、相次いでの出席となりました。卒業生は男子9名、女子17名の合計26人と、私たちの時代から比べるとかなり寂しい人数でした。それでも小規模校ゆえの慈しみや顔見知りの子どもの顔もちらほら見えて、少し涙が出てきました。

 今の卒業式は「蛍の光」も「仰げば尊し」も歌わず、私の知らない「YELL]と少しだけ知っている{君がいたから」を合唱し、最後に歌い収めとなる「上灘中学校校歌」を全員が大きな声で歌いました。私はこの学校の卒業生でないのでこの歌は口ずさむ程度なのですが、私の子ども4人はそれぞれこの歌に思い出があるはずだと思いつつ、隣の人の声を聞きながら口パクで歌詞をなぞってゆきました。

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(記念誌への私のつたない紀行文)

  「卒業式 蛍の光 歌わずに 仰げば尊し ないゆえ湿らず」

  「皆勤の 子ども表彰 したいなあ 様変わりした 卒業式見て」

  「この子らは この学び舎を 後にして 何処を目指して 行くのだろうか」

  「いつの世も 同じようなる 流れにて 記憶の彼方 去ってゆくもの」

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