○祝電
結婚式の司会を537組もしてる私は、その都度結婚する人に送られてくる気の遠くなるような数の祝電を、偉い順により出して列席者の前で紹介したものです。ですから祝電と名の付くものはそんなに深い意味もなく感じていました。私自身が祝電や弔電を打ったのはもう何年も前の出来事で、いつ誰に打ったかさえも覚えていないのです。ところがこの1週間、私の元へ祝電が舞い込み始めました。最初は「これって間違いじゃないの?」と思ったほどです。というのも同じ町内にする人に私と同姓同名の人がいるのです。その人は私の従兄弟なのですが「若松新一」と書いて「わかまつしんかず」と呼ぶのです。知らない人は「若松進一」の間違いだと勝手に思い込んだり、「若松新一=若松進一」と思ったりで、特に年賀状や宅配便が誤配達されて困ったことが何度かありました。もっとも良く間違えられるのは若松新一さんの方で、しょっちゅうだそうです。
私への祝電は今日までで8通となりました。県会議長さんや県会議員さん、生協の理事長さん、農協の組合長さん、個人など肩書きは様々ですが有難く拝受しました。本来なら御礼の電話をかけなければならないのでしょうが、少し落ち着いたらお礼のハガキでも書こうと思っている次第です。
私に祝電をいただいたのは、前にもブログに書いた県政発足記念日の表彰なのです。県民でありながらそのことすら知らなかったのですから恥かしい話です。愛媛新聞に載った記事によると、愛媛県は1873年2月20日に太政官布告で発足、百年目の1973年に2月20日を県政記念日にしたそうです。表彰は教育文化、地方自治、生活環境、社会福祉、保健衛生、商工労働観光、農林水産、建設、伝統芸能の部門別に5人程度が選ばれていました。どういう訳か私は生活環境部門で、まちづくりやコミュニティだと表彰状に書いてありました。
それにしても私の受賞をこんなにも祝福してくれる人がいるなんて、そのことの方が感激です。お祝いの電話やメールをあわせると数限りないほどで、今一度その重みを噛みしめました。
祝電が届いて驚いたのは私だけではありません。在宅時に受け取った妻は「あなたにこんなに祝電をいただくなんて」と目をパチクリさせていました。
メール万能な時代になって祝電が色あせた感じがしますが、それでも郵便局員さんが一つ一つ丁寧に家まで運んでくれる電報はまた違った味があります。良く昔の映画に出てくる「ハハキトクスグカエレ」などとカタカナで書いた電報を読むシーンは、やはり臨場感溢れるものなのです。
私は愛媛県立宇和島水産高校の卒業生です。初代の実習船愛媛丸に乗って珊瑚海まで遠洋航海をしましたが、正月を洋上で迎えるため、「遥か南十字星輝く洋上からハッピーニューイヤー」などと、格好をつけて無線局長さんにお願いしモールス信号で打電電報を打ったことが懐かしく思い出されました。受け取った友人や家族は一応に驚き、友人は大切な宝物として保管してくれていたのを、先日見せてもらいました。
人の思いのこもった祝電はもう貰うことはないでしょう。ですから私の友人と同じようにいただいた祝電を大切に保管して宝物にしたいと思いました。
「えっ俺に 何で祝電? くれるのか 最初驚き 今も驚き」
「祝電は 人のものだと 思ってた いただく人の 顔が浮かんで」
「新聞は 偉いもんだね そこここで 私の活字 拾い読みして」
「もう二度と 表彰などは あるまいと 思ってただけに 驚きました」