○雪の金山出石寺
「おい松本君、金山出石寺へ行こうか」。それは急な思いつきでした。昨日は大洲市長浜町豊茂で行われた「豊友会40周年記念大会」に招かれていたので、えひめ地域政策研究センターの松本さんと二人で出かける事にしました。松本さんは双海町下灘の出身なので私の車で行こうと相談がまとまっていて、彼の実家の前で11時の待ち合わせです。家を10分前に出ましたが、途中妹の経営する「くじら」という海産物の店先で妹の顔を見たので、素通りも悪いと思い立ち寄り、会釈程度の会話を交わしました。国道沿いで松本さんを乗せ昼前のことでもありラーメンでも食おうと通りすがりのラーメン屋に立ち寄り、ラーメンが来るまでの時間に金山出石寺へ行くことの相談がまとまりました。
(豊茂入口の人面広場に設置された大きな草鞋に度肝を抜かれました)
(豊茂の名物人面岩)
穏やかな瀬戸内の海を右手に見ながら長浜まで走り、つい最近出来た信号を左に曲がってしばらくすると肱川に出ますが、引き潮のため肱川の水も少なめで、右手後ろにかかる片勝ち鬨の赤橋がバックミラーに映りながら視界の外に消えてゆきました。JR出石駅付近で右折し、出石大橋を渡るともう金山出石寺へは一直線です。途中豊茂の大本さんと連絡を取った松本さんは、今日の会場となる豊茂公民館に全国大会のパンフを置いて、再び坂道を走りました。この道を走るのは久しぶりなのですが、改良は途中までしかできておらず、行政の台所事情を垣間見る思いがしました。杉木立の中を走ること15分余り、道沿いに残雪が見えてきました。カーラジオから流れる全国ニュースでは首都圏を含め太平洋沿岸を通過中の低気圧の影響で大雪に見舞われ、積雪があると報じていましたが、標高820メートルの金山にもかなりの雪が残っていて、バスの回転場辺りからは道の雪が凍ってアイスバーンになっていました。それでも往復1時間という痴愚の予定にあわせた目安があるので、ゆっくりと登って行きました。やがて町指定天然記念物である桂の大木付近に行くと、車のタイヤがスリップし前に進まなくなりました。危険を感じたのでUーターンして路側帯に車を止め、二人で雪道を歩く事にしました。凍った雪道は歩きにくいものです。日差しを浴びた所はびちゃびちゃに解けているし、歩きにくいことこの上なく、少々太り気味の松本さんの洗い息遣いをを少し後ろに聞きながら、かなり長い車道と参道を休む間もなく一気に歩きました。
連休なので普通だと参拝客も多いのでしょうが、この雪道に行く手を阻まれまばらでした。私たちのように無防備でやって来た人もいれば、スノータイヤで追い越して行く人もいてそれぞれです。
(雪に覆われた参道)
(山門前の石段も氷ついていました)
(雪の白と空の青が見事なコントラストの金山出石寺境内)
(金山出石寺本堂)
(山門の入り口にある大師像も雪を被って寒そうでした)
参道前の石段は完全に凍結していて手摺に捕まるように慎重に登って行きました。鐘楼で手を合わせて入り鐘をつき、大師堂と本堂を巡ってお賽銭を入れ祈りを捧げました。周囲の山並みは少し春霞の感じでしたが、その遠望を楽しむ暇もなく早々に下山です。元来た道を下るのですが、雪道は滑りやすく少し早足で新雪部分を踏み分けながら転げるでもなく元の場所に戻って車に乗り込みました。
往復僅か50分程度の短い時間でしたが、御仏のご加護か何事もなく豊茂公民館まで帰って来ました。九十九折の狭い道の両側に広がる長閑な山村風景とは裏腹に、時折視界に入る住む人絶えて崩れしままの民家に限界集落の厳しさを感じました。数年前に襲った台風による風倒木も痛々しさをさらけ出し、冬枯れのクヌギ林や、棚田のあちこちに咲く黄色い菜の花が印象的でした。
ここでは親友菊地さんや大本さんたちが地域を守るため長年頑張っています。しかし時代の流れは否応なしに山村の暮しを押し流そうとしています。最早見方であるはずの行政さえも見放し、ぶつける当てもない憤りを感じながら生きて行かなければならなのでしょうが、せめて人生の結末だけは楽しくあって欲しいと思うのです。
金山出石寺への短い旅路はまた私の心に新たな火種を生んだようでした。
「雪道を 恐る恐ると 分け入りて 霊峰出石 参拝登山」
「住む人も 途絶え潰れし 人家あり 冬の山里 寂し風吹く」
「もう春が そこまで来てる 山村の 棚田あちこち 黄色い菜の花」
「村人の 姿も見えず ひっそりと 山の向こうに 煙り一本」
「