○レパートリーが広くなりました
私の武器は知識はないが多少の知恵と、理論はないが実践から生まれた多少の論理です。多少の知恵と多少の論理を巧みに使って、様々な場所で様々なテーマに沿ってお話をするのです。その場合、他の人のように美しい文字を黒板やホワイトボードに書くでもなく、またパソコンを使ってデータや映像を見せるでもなく、またレジメを用意して配るでもない、まったく無防備の言葉だけが勝負の世界に挑んでいます。これはアドリブで機転が利いたり心の中の引き出しにジャンル毎の事例が多くないと、2時間とか3時間の講演や講義は持たなくなります。大衆の面前で恥をかかないためには、大衆の面前で恥をかき、恥をかかない訓練を何度となくしなければならないのです。私はこの訓練を「話芸訓練」と考えています。漫才師や落語家が話芸を仕上げてゆくのに、2年とも3年ともいう下積みの世界を経験し、なお一つのネタを話として人前で披露するのに何回も練習するという話を聞いて、話芸を磨き真打などというレベルへ到達するまでの厳しさを実感するのです。
私には漫才師や落語家のような師匠が残念ながらいません。ですから独学です。独学は人の色に染まらない独特のオンリーワンの世界なのですが、独断と独善のためマンネリに陥りやすく、ほおっておいたら自然と楽な道を歩こうとします。つまり日々の訓練を怠り過去の遺産でお茶を濁そうとするのです。
そんな私の訓練に嬉しくも強い見方が登場しました。ブログとハーモニカです。ブログはデジタル時代の文字書きなので、話芸とは一見何の関係もなさそうなのですが、実は深い関係があって①話芸のネタを仕込む、②話芸のストーリーを考える、③話芸の結果を公表する、④話芸の反応を確認する、⑤話芸のエリアを広げる、⑥話芸のネットワークをつくる、⑦話芸の魅力を伝えるなどの道具として重宝に使えるのです。ブログで自分の知らなかったデジタル世界の話題を沢山拾いました。それらを組み合わせ話芸のストーリーを仕上げてゆきました。自分の話芸の話を公表し人々の画面上で交流しましたし今も盛んに交流しています。私の話芸への反響もデジタルによって入り、その成果を確認しています。ブログやメールでエリアも随分広くなってきました。
話芸のネットワークも今まで以上に全国へと広がり、話芸の魅力は留まるところ知らず核分裂を繰り返しながら広がっているのです。ブログが私の話芸の深さ・広さ・大きさに磨きをかけつつあるのです。
ハーモニカも今ではなくてはならない持ち物に変身しつつあります。カバンに忍ばせてあちらこちらの会場で披露するのですが、お世辞のアンコール拍手が起こる度に日本的音楽の魅力にとりつかれレパートリーを広げています。音楽音痴だった私には考えられなかった成長で、今では特老や公民館などからおしゃべり話芸とハーモニカをセットでお座敷がかかるほどになりました。ハーモニカも楽譜を読めない私には即興です。歌さえ知ってれば何とか詰まりながらも吹けるようになりました。
今日も話芸とハーモニカの手前味噌なコラボレーションが始まりますよ。さあいらっしゃい、いらっしゃい。
「俺の武器 楽し話芸と ハーモニカ たったこれでも 人は喜ぶ」
「アドリブで 話芸披露の 講演会 また来て笑顔 ばあちゃん拍手」
「演奏が 終わって拍手 勘違い アンコールだと 思って更に」
「暇あらば 車の中で ハーモニカ 練習してる 成果上がりて」