○叶うという漢字
島根県の友人からメールが入り色々と考えさせられました。彼は私たちの地域では「潜りさん」といって、海に潜ってサザエやアワビを獲って生活する潜水漁師なのです。子どもの頃から海端で暮し、海を遊び場として育ってきた私にとって、海に潜るという仕事がどんなに苦しいものかは想像がつきますが、それは素潜りの話であって、酸素ボンベや海上の船からホースで空気を送るのとは訳が違うのです。人間は長い人でも余程のことがない限り5分以上自分の息を止めることは不可能です。この文章を書きながら僅か1分息を止めてみましたがもうアップアップでした。ましてや水温の低い海中となるとこれまた話は別で、私などが海に潜ると耳に海水が入ったり足が海中に消えたかと思うとすぐに頭が出るような手合いで中々上手く潜れないのです。
「潜り」といえば何か悪い意味に取られがちですが、潜りさんは立派な仕事であり、愛媛県の佐田岬の突端にある旧三崎町では沢山の人が口開けなど、漁村独特のルールを守って磯根資源であるアワビ、サザエ、天草、ワカメなどを獲って暮らしています。私たちの町の「潜りさん」はエアーホースで空気を送る方法が殆どで、素潜りのような業師ではありませんが、それでも黒いウエットスーツを身にまとい、腰に鉛の付いたバンドをつけて真冬の海に潜ります。これからは忘年会や新年会に合わせたナマコのシーズンで、赤ナマコは特に珍重され高値で取引されているようです。
潜水は息を止めねばなりません。海中から上がるとこれまで堪えていた呼吸動作を息早にくり返すのですが、私たち人間はこの空気を吸ったり吐いたりする行動を殆ど何の意識もせず自動的にしています。海に潜って出て海上に出てきた時初めて、「ああ俺は息をしている」と実感するのです。と同時に吐くことと吸うことの意味も分るのです。吸うだけや吐くだけで人間の呼吸は成立しません。吐かなければ吸うことも出来ませんし、吸わなければ吐くことも出来ないのです。
友人のメールでは、吐くことに言及していました。「吐く」という文字は分解すると口・+・-=吐です。つまり息を吐くことは口から酸素を入れたり出したりするための動作、つまり吸うための入口なのです。健康法に呼吸法という動作があります。吐くことに集中して息の限りに吐くのです。そうすると背筋が伸びて良好な酸素が体内に送り込まれてくるのです。昔の人は漢字一つ作るのにも数学的見地から作ったのでは?としみじみ考えさせられました。ちなみに口のついた漢字を分解すると色々な話題が登場します。口に-で日、口に+で叶、同じく口に+で田、口に食で喰など面白い物語が潜んでいます。
ちなみに私が彼に送ったメールでは「叶」という文字でした。願い事が叶う時に使われる「叶」は口に+と書きます。さしずめ物事が成就して叶うためには口を+にしなければなりません。つまり自分の願望を口に出して言うことなのです。人間は失敗を人に知られたくないから、得てして願望を自分の胸にしまい込んでこっそりと努力するものです。元論その行動を否定することは出来ませんが、私の場合は出来るだけ自分の願望を人に言うようにして成就してきました。「夕日を日本一にしたい」とか、「人間牧場を作りたい」とかこれまでにもたくさんの目標を公言してきました。特に「アメリカへ行きたい」なんて願望はもう小学校5年生の時に仲間に打ち明けていたのですからしたたかです。でもお陰さまでそれらの殆ど全てを手に入れることが出来たのです。
言わずにやるより言ってやることは自分にプレッシャーをかけるだけでなく、人からの目に見えない圧力となって大きくのしかかりますが、やった後の評価は抜群のようです。
さて私の当面の目標であった「人間牧場」も退職後の1年余りで完全に手中に収めることが出来ましたが、次なる目標をそろそろ公言しなければなりません。叶うという漢字を肝に銘じて頑張りたいものです。
「叶うという 文字に秘めたる 口+(プラス) 言ってやるから 評価は上がる」
「呼吸する ことがどんなに 大事だか 忘れてました 日々の暮しで」
「メールから 学ぶことあり 立ち止まり ああそうなんだ 納得しつつ」
「見えなくも 見えてきたよな 思いです あなたはいつも 俺に知恵つけ」