○えっそんなにいるの
私には父と母がいます。父には私からいうと祖父と祖母がいますし、母にも当然祖父と祖母がいます。1・2・4・6・12・・・・・・とこれも電卓で叩いて行くと、何と私の先祖は10代前には1024人もいる計算になります。「えっ本当」は私たちの時代の疑問符、今の若者は「えっ嘘」なのです。でもこのことは嘘ではなく本当なのです。私という一枚の絵を仕上げるのには1024枚のパズルのコマが必要なのです。
子ども会などで子どもたちにこの話をしてやりますが、子どもたちにはまだピンと来ないようです。でもこう考えてみると人間のルーツなんてものは相当不思議な世界だと思えるのです。
私は父と母、父方の祖母は知っていますが祖父は私が小さい頃に死んだので記憶にありません。しかし祖祖母と祖祖父は長生きしたのでおぼろげながら知っています。母方の祖母と祖父は知っていますが、それより先の先祖は知りません。知らないというより教えてもらったことが殆どないのです。歳をとった父は時々先祖のことを話すのですが、耳が遠いせいで父の話はくどいものと決め付け聞く耳を持たないのも正直なところです。でも私たち日本人は自分のルーツについてもっと知りたいと思う好奇心や知る努力をしなければならないと思うのです。
母の思い出も祖母や祖父の思い出も今の時代ですからパソコンで記録して、後の家族に受け継ぐことだって出来るはずなのです。
出世した人はかつての貧乏暮らしを隠し、やれ俺の家はどこそこの侍だったとか、やれ家系図だとか言いたがりますが、せめて貧乏でもいいから人となりを伝えるような人間でありたいと思うのです。
先日島田洋七さんがラジオでおばあちゃんの思い出を話していました。途中から聞いたので分からない部分も多かったのですが、苦労や貧乏の向こうにおばあちゃんの生きた言葉があったと述懐していました。あんなことなら私の母だって随分あると思うだけで、洋七さんのように文章化して本にすることなどするすべさえ知らないのです。
少し暇が出来たら母の思い出も記録したいものです。
「俺は何処そこから始まる人探しジジババ意外知る人もなく」
「洋七さんあんたは偉いばあちゃんの言った言葉を覚えているから」
「わが祖母は学校行かぬが日記帳カタカナまじり付けていました」
「言うてたな親の意見とナスの花千にひとつのアダあるものか」