shin-1さんの日記

○このゴミ誰が出すの

 毎日毎日とどめなく出るゴミの量を見て「このゴミほど金が貯まったら大金持ちになるのになあ」と、ため息をついていらっしゃる方も多いことでしょう。ゴミの量は普通の場合家族の数と比例しますから、家族の多い家はゴミの量も多いようで、私の家もご多分に漏れず毎ゴミの日には両手で抱えきれないほどのゴミを近くのゴミ置き場まで持って行きます。特に年末のこの頃は多かれ少なかれお歳暮が届き、その包装類や掃除で出たゴミでいっぱいになっています。

 何年か前私の町ではごみ減量作戦としてコンポストと燃えるゴミは自家焼却処分にしていました。ところが最近になってダイオキシンによる大気汚染が問題になってから自家焼却処分は自粛されたものですから、明らかに自然ゴミと分かる落ち葉などもビニール袋に入れて出さなければならず、当然ゴミの量も増えています。わが家のように敷地内に畑があり、落ち葉を埋めて堆肥にしたり出来る家は良いのですが、市街では殆どの人がゴミにしているのです。

 コンポストも当時は鳴り物入りで補助金を出し、多くの人がコンポストに生ゴミを入れてEM菌の籾殻をふりまき、堆肥にして再利用していました。しかし今は合併の影響もあるのでしょうが、そうした取り組みを指導してくれる人もいませんのでなし崩し、打つ手なしの状態です。

 ゴミは住民自らが持てる力を発揮しないと減らないし、マナーも資源再利用の意識も向上しませんが、行政の流行り病のような指導ではこれまた長続きしないのも実情です。

 「このゴミ誰が出すの」という言葉には四つの意味が込められています。一つはこのゴミを出すのは家族の中の誰でしょう。家の中ではみんながゴミを出すのです。二つ目は、さて出したゴミは誰が出すのでしょう。家から出たゴミをゴミ置き場まで運ぶのは妻ですか、私ですかと出す人を問うています。三つ目は出し方のマナーを守るべきゴミ置き場周辺の群衆です。そして最後はみんなの税金を使ってゴミ処理を担当する行政と出す住民の関係になるのです。

 ゴミ問題は結局は私ひとりから始まり自分の所へ帰ってくるのです。いい市民でありましょう。

  「持てぬほど提げてゴミ出すお父さん今は見慣れた朝の風景」

  「弾みますゴミ端会議の延々とパジャマ姿のおばちゃんもおり」

  「透明の袋でゴミの中身見え賞味期限の過ぎた手付かずお肉」

  「誰もまだ出してないけどゴミ置きて走り去り行く見知らぬ女性」

 

[ この記事をシェアする ]