○私の10大ニュース・その2
4月1日 幕を閉じた双海町に変わって1市2町による新生伊予市が誕生しました。4万1千人の小さな市の誕生です。生まれた時下灘村の村民だった私は10歳で双海町民となり、60歳で伊予市民となりました。あと25年余り生きると仮定したらもう一回ふるさとの名前が変わる可能性もありますが、とりあえず私は伊予市民として生きてゆくことになり、名刺もパソコンのメールアドレスも変更しました。勿論講演などで出掛けた先々で「伊予市の若松です」と紹介せねばなりません。
4月1日から地元の灘町という集落の区長をすることになりました。長年の不義理とお世話になった感謝を込めて自治会長職をこなしてきました。田舎の自治会長は中々忙しく、やれ防犯灯切れたの下水道が狭いので直すよう取り次いで欲しいだの、様々な要望を取り次ぎます。また公民館の管理や貸し出しまでする有様です。盆踊り、敬老会の主催も大切な仕事です。
恩返しといいながら、300戸余りの双海町では一番大きな集落だけに少し戸惑い、少し慣れて何とかやっています。
4月20日 愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤職員としての仕事が始まりました。この仕事は教育長時代からやっていたことなのでもう3年目になります。今年は26人の学生が私のガイダンスを聞いて応募してくれました。ガイダンスで私の人気は高く希望者が沢山ありましたが、私がその希望調査のコメントを読んで決めました。いい学生が揃っています。今年のフィールドワークでは西条市・砥部町・大洲市・伊予市双海町を撰び調査をしたりしました。「教えることは学ぶことなり」といつも考え、それなりの学習をこれからも続けたいと思っています。
7月29日 人間牧場の「水平線の家」の建前をしました。4間半に2間半の小さな建物ですが、建築士の息子が設計し親子喧嘩をしながらやっとの思いで建てました。4月から瀬戸内海を見下ろす山の上に上がって木を切り草を刈り、土地を造成し、大工さんと土木業者さんの力を借りていよいよ念願の人間牧場建設が始まったのです。海と空の広がりがまさに絶景です。私の新しい人生はここから始まります。何をするのかはブログを読んでください。
「わが人生村民町民市民へと出世街道昇りつめたり」
「自治は何宝くじかと思いきや暮らしを守る大事な仕事」
「高卒の私が何と大学で教壇立って話するとは」
「あの土地にあのよな家を建てたいとめぐらす夢の叶うやうれし」