shin-1さんの日記

○コーヒーが飲めない私

 私はコーヒーが飲めません。「何故?」と言われても別に理由はないんですが、生まれてこの方一度だけコーヒーを友だちにだまされて飲みました。その時の苦かった舌味がコーヒーから私を遠ざけた、ただそれだけの理由なのです。今なら挑戦すれば飲めるかも知れませんが、少し怖くて飲まないのです。コーヒーを飲まない私は余程のことがない限り喫茶店には行きません。たまに仲間と待ち合わせたり仕事の打ち合わせをしたりするため、相手が喫茶店を指定すれば別ですが、喫茶店は私にとって遠い存在でした。

 そんな私の息子に、よりにもよってコーヒー専門の喫茶店を営む家庭の娘が、この秋縁あって嫁いで来たのですから世の中は理解に苦しむことが多いです。結婚話を取りまとめるためにその店に何度も足を運びましたが、私の注文はホットミルクかレモンティなのです。

 でも最近気がついたのですが、コーヒーの香りは何ともいえない安らぎを覚えます。店に入りお定まりのカウンターに座る。お冷とお絞りが出て飲み物を注文する。注文の飲み物が出てくるまではBGMを聞きながら店内に漂うコーヒーの香りを体いっぱいに浴びる。ここで「キリマンジャロ」なんて注文し洒落たコーヒーカップを片手に飲む姿は、何とも格好いいはずなのに、相変わらず「ホットミルク」しか注文できない渡しなのです。

 かつて私は総理府派遣第10回青年の船の班長としてアメリカやメキシコ、ハワイを歴訪しました。どの国でも飲み物といえばコーヒーです。これには随分困りましたが、英会話の苦手な私はコーヒーの断り方を知らなくて随分苦労しました。しかし私のホスト役の渉外担当が「若松班長さんコーヒーを断るのに英会話なんか必要ないです。ノーコーヒーで十分通じます」と教えてくれました。以来私は馬鹿のひとつ覚えとでも言うのでしょうか、「ノーコーヒー」で通しております。

 最近の日本は生活がすっかり洋風化し、コーヒーは日本の飲み物になってしまいました。どの家を訪問してもお茶と同じくらい、いえひょっとしたら来客にはコーヒーが多く出てくるのです。私の訪問を見て裏でコーヒーを入れているのを察知すると、「すみません。私はコーヒーが飲めないのですが」と断るのですが、それも出過ぎた感じがして、ついつい出されたコーヒーに手も口も付けない失礼が度々あります。食後の特に日本食後のコーヒーなど私には到底考えられないことなのです。

  「コーヒーを飲まぬ私にお歳暮が開けてみるとコーヒーうんざり」

  「砂糖ミルク入れぬブラックマウンテン飲んでも肌は白いままです」

  「理科実験思い出すよなカウンターランプ熱してサイフォン下る」

  「コーヒーは飲めぬが香りとBGMタダで鑑賞安いものです」

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